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ありがとうはまほ(う)のことば

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がんばっているあなたにノーベル賞をあげたいよぅ

今日は10月7日、木曜日。
お天気は今日も快晴。
さわやかな朝です。
昨夜はビッグなニュースが。
すごいですね。
ノーベル化学賞に日本人お二人。

今日がお誕生日の方、
おめでとうございます。
10月7日の和は「8」、
無限大の可能性の佳き日です。
どうぞ素敵な日をお過ごしください。

ほんとうにすごいですね。
ノーベル化学賞のお二人。
字幕で喜びの声を読みましたが、人格者。
功績は40年前の発見で、
われわれはその恩恵を受けているのですね。

わたしは常々世の中が大きく変わるには、
30年と見ているんですが、
30年前に誰がこんなにパソコンが
普及すると考えていたでしょうか?

だから、今後30年も
もっともっといいように変わると期待しています。

わたしは病気の後遺症で、筋肉をなくし、
歩けなくなりました。
筋肉という意味で足だけではなく、
握力もなくしました。

わたしは、しあわせに生きたいと思いました。
もう、なったものは仕方がありません。
自分の環境は変えられませんが、
思い方は変えられます。
・・・こんな風に思えるのも、
病後10年経ったからです。

大病当初は絶望しかありませんでした。
なぜもっと自分を大事にしなかったかと
後悔ばかりでした。

お母さんの介護の間をぬって、
お見舞いに来てくれる先輩がおっしゃいました。

「復職しなよ」
「この体でどうやって仕事に行くの?」
「こんな大変な病気をしたから、やるんよ」と。
まいしゅう、毎週、おっしゃるんです。

人間の心って不思議ですね。
毎回言ってくださる言葉を聴いていると、
「できるかも」という気に
なってくるんですからね。

そうして2年半の入院生活にピリオドを打った
2002年4月末。
復職したいと真剣に思っていました。
そのためにはパソコンしかないと思っていました。
そこで、パソコンを買い換えました。

家族にすれば、「いいおもちゃ」を
買い与えたつもりだったと思います。
だって、車いすで、電車に乗って
会社に行けるはずがないと思っていましたからね。

2003年になりました。
復職するならこの春しかない。

ちょうど、その頃、
わたしの心を見透かしたように子どもがポツリ。
「お母さん、仕事のこと、どうおもっとるん」と。

「お母さん、復職したい」
「えっ?」

その後、沈黙があってから、
「しらんかった。お母さんがそこまで考えとったって」
「もうむりだけはせんでね」
「家におってもやることはいっぱいあるんやで」

わたしは心配するだろうと、
両親と子どもには、復職の希望は
言ってありませんでした。
だって、会社がチャレンジを
認めてくれるかどうか、わかりませんからね。

そこで、復職希望の手紙を
汚いひらがなで書き、
後輩に送り、立派なワープロ文書に
仕上げてもらいました。

残念ながら、
復職はチャレンジだけで終わりましたが、
車いすで、ひとりで電車に乗るという
体験ができました。

結果ではなく、
過程が大事と思っているので、
このチャレンジは大きな自信となりました。

このブログを読んでみえますでしょうか。
チャレンジを許可くださった、上司の方、
その節は本当にありがとうございました。

「復職は認められないという」回答を得たのち、
腹痛が引かず・・・(こんどこそだめかもと)
自分から調べてほしいと希望し、2度目の入院。
やっぱり、復職が無理だったのか?
と気弱にもなりました。

すい炎になると、
すいのう胞という袋ができるそうです。
その袋が8センチになり、水がたまっているため、
腹痛があると判明。
その水を抜く内科的手術をしたお陰で、
現在も再発していません。

ノーベル賞は、
40年後に功績が認められました。
だったら、わたしはまだその4分の1。

人さまや世間に認めてもらわなくても、
生きている今なら、わたしが、
自分の頑張りを認めたいなあって、
そんな風に思う朝です。

今日も最後まで読んでくださって、
あなたの貴重なお時間をいただいて、
ありがとうございました。
素敵な一日をおすごしくださいね。
お忙しい方は、無理をしない勇気を。


お時間があるときに読んでください。 再起に懸ける








by mahorou | 2010-10-07 09:28 | 2010年のつぶやき | Trackback

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