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ありがとうはまほ(う)のことば

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再生できる喜び・ありがとう

「ゼロからの出発」(28番)

ゼロからの出発
もうこれ以上うしなうものは
なにもない
これからは ひとつずつ
できることをふやしていく
たのしみがある
努力することのすばらしさを
可能性が教えてくれる


無一文になった自分を
思い描いてみると、
たった一つだけ
手に入るものが浮かんだ。
失えるだけ失ったなら、人は
逆説的に無敵になるということ。
自分の部屋を
空っぽにしておけば、
空き巣が入っても
何も盗られるものがない。
(江神二郎の洞察、有栖川有栖)






Commented by mahorou at 2013-04-12 12:29

みんな自分の身に起きた不幸が、
世界一のように思いこみたがります。
けれど世の中には不幸と同じくらいの
幸福もばらまかれています。
人は不幸の時は一を十にも思い、
幸福の時は当たり前のようにそれに馴れて、
十を一のように思います。

(瀬戸内寂聴さんのことば)

Commented by mahorou at 2013-04-12 12:31
過去記事2010

どう望もうと変えられないものって、ありますよね。

旅立った人をこの世に生き返らせること。
病気や障害を持たずに生きること
自分の気に入る親や学校の先生を選ぶこと…などなど。

ちょっと、大きなものを書き出してみました。
そんなとき、どうすればいいでしょうか?
人生はすべて選択の連続です。

わたしはね。選べないなら、うまく付き合っていこうと、
50代ですし、家族もいますし、
がんばれるようになりました。

もちろん、病気になり、絶望もし、
悶々とした1年を過ごしました。
自分でも元気を出さなくっちゃと
頭では分かっているんですよ。
でも、こころが前を向かずに、
楽しみもない1年を過ごしました。

わたしの場合、「覆水盆に返らず」です。
どうあがいたって、
失った筋肉はすぐに戻りません。
聴こえなくなった耳は
元通りにはなりません。
Commented by mahorou at 2013-04-12 12:31

泣いていても、
歩けるようにはならないと悟り、
こんなにも「くよくよ」している自分を
家族に申し訳なく思っていました。

わたしは「しあわせに生きたい」と思いました。
消えたかもしれない命を助けていただけたんです。
自分が命を粗末にするようなら、
その時、消えていたらよかったわけです。

ならば、わたしは「ただ」生きるんじゃなくて、
ご恩返ししようと思いました。
まず私がしあわせと思える生き方をしなければ、
ご恩返しなどできません。

そのために、まず自分を愛したんです。
どんなに駄目だなと思うことでも、
いまはいいんだと「肯定」し、
自分の味方は「まほ」であり続けました。

みなさんは、
「まほさんはやさしいですね」と
おっしゃってくださいますよね。
それは、みなさんにやさしいのではなく、
「まほ」が「まほ」にやさしいからです。

己の弱さをとことん知りましたから、
弱さ8割がやさしさ8割に代わっただけなんです。
Commented by mahorou at 2013-04-12 12:32

体が不自由になりますと、
健康時より、当然できることが減ります。
つまり守り抜くものが人さまより少ないわけです。
そうしますとね。
それをとっても大事にできるんですよ。

たとえば、お金持ちの1万円は、
さほどの価値はないでしょう。
ですが、お金に困っている人からすれば、
その1万円は大事なものになります。
それだけで数日は食いつなげ、
生きられますね。

それと、まほの自由もおんなじなんですね。
残されたものを大事にするということです。
考えることができる頭と
見える目、そうして動く指があります。

楽しく生きる道を一緒に探していきましょうよ。
環境は変えられなくても、
自分の心の持ち方は代えられますもんね。
まずはご自分の心の声をよく聴いて、
決して否定しないでくださいね。
それがご自分を愛すること、
つまりはしあわせへの入り口なんですよぅ。

Commented by ハル at 2013-04-12 14:51 x
まほさん、こんにちは。
あいさんのブログ、消えましたね。ご家族の思いなのでしょう。残念ですが、これまで励ましてくださったあいさんの言葉に感謝しました。
どうにもならない様々なことがあり、そのたびに悩んだり苦しんだりするのは当たり前の反応ですが、その先へ、以前より早く進めるようになってきました。親子であっても相手の苦悩を肩代わりすることはできないし、逆に黙って相手に寄り添うこともまた、難しいときがあると痛感するこのごろです。老いた親が少しでも安らかな時間をもてるよう、私が静かに寄り添えるよう祈っています。
厳しい冬を越えて芽吹く春の草花の強さに打たれます。私などが言うのはおこがましいですが、暗闇があって初めて知る光の有り難さもありますね。
Commented by mahorou at 2013-04-12 17:10
ハルさんへ

こんにちは。
あいさんのブログ、やはり削除されたんですね。
どこかで区切りをつけ、前へ進むべきご行為ですね。
あいさんのことですから、ブログ記事もご整理されていたし、
ある程度経ったら、削除するように頼んでいかれたかもしれません。
それでも、自分の願いとは別で、
残された方の良き判断にお任せされたかもしれませんね。
残された方が幸せに生きていけるように、願われた気がしています。

そうですね。
悩み事の大きなものって、どうしようもないことがほとんどですよね。
人との関係ですから、思いが一致しないことも多いですよね。

ハルさんのおっしゃるとおりだと思います。
少しでも悩みが軽くなることを願うだけですね。

いえいえ、病気を体験したものばかりでなく、
闇を知っている人が光のありがたさをごぞんじです。
歳を重ねることは、光を見つけることが
安らぎにかわると学んでいくのかもしれませんね。
Commented by wasurenaso at 2013-04-13 13:51 x
まほさん、失って初めてありがたさがわかる、まさにその立場を経験しました。みんな誰もなりたくてなったやまいではありません、気の毒だと2ヶ月あまり病棟にいる同じ立場の人々を眺めて暮らしました。一つどうしても受け入れられなかったことがあります。看護士たちが患者を子供扱いしていたことです。
私が2度目に一時帰宅し時間通りに病院に帰った折言われたのが「良く帰って来られたわね」、それはないでしょう。私が他の
患者より早く退院出来たのを残された患者が羨ましがっていました。なんだか申し訳ない気持ちが今もしています。
Commented by mahorou at 2013-04-13 15:58
わすれなぐささんへ

こんにちは。
お越しくださって書き込みありがとうございます。
ほんとうですねぇ。誰も望んで病気や事故にあう人などいませんものね。

お辛かったですね。
いい方もたくさんおられると信じたいですが、
心も弱っている時の、かけられる言葉って・・・
あったかいものであって欲しいですね。

病院では結構、子ども扱いされますね。
それがとても悲しく、今でもなみだが出ます。

外出で戻られた時の言葉、
きっと悪気もないのでしょうが、もっと心ある言葉があると思うのですが、
どうしても、弱い人への思いが汲めない風潮のようです。
だって健康体でハードな仕事がこなせるのですから、
弱い人を見る体験は多くても、
ご自身が弱い立場になるということは少ないでしょうから、
思いやるという観点から、難しいことかもしれないですが、
看護師になられた以上、あったかい介護を望みますね。

どうぞ、どうぞゆっくりお元気になってくださいね。
心より祈っています。
病院での嫌なお気持ちが忘れられ、穏やかであられますように。。。
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by mahorou | 2013-04-12 12:25 | 2013年のつぶやき | Trackback | Comments(8)

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