生きているといいことも悪いことも両方経験するんですね・・・
しあわせとふしあわせ
あんしんとふあん
せいこうとしっぱい
かつこととまけること
よろこびとかなしみ
わらいごえとなきごえ
はる・なつ・あき・ふゆ
きのう・きょう・あした
2011.03.24
人間って平等ってことは
あり得ないんだよ。
それを平等だって
建前があるわけじゃない?
みんな全然顔も違うわけよ。
みんなそれぞれ
いろいろな条件を持って、
自分に与えられた運命
っていうものとか
宿命っていうことを
生きていくっていうことが
生きていくことだと思うのね。
(ほんとのこと言えば? -佐野洋子対談集)
世の中には本音と建前、
矛盾があることを認めて、
それに対して感じる怒りや反抗心を
自分なりに消化できること。
まずそれが大人の条件といえるでしょう。
(気にしない技術、香山リカ)
変わらないものは、ほとんどない。
いっぱい変わるんだよ。
いまが永遠でないんだ。悲劇も、もちろん・・・ね。
くりかえし、くりかえし、よくなって行ったらうれしいね。
だから人はがんばれるのでしょう。
疲れたら、元気になった人と、上手に交替し、
お互いを思いやり、気遣いながら。。。
今日がお誕生日の方、おめでとうございます。
どうぞ、すてきな日を。。。
恋愛中の「ふられるんじゃないか」という「不安」、
試験の前に「落ちるかもしれない」という「不安」、
新しい仕事の前に「うまくいかないのでは」の「不安」。
打ち消そうとすればするほど、肥大化します。
そして、「不安」は、「不安」を呼んで固まります。
もう、たいていのことがうまく行かなくなるんだなぁ。
さて、どうすればいいのか。
タバコをやめるときと同じだと思うんですよ。
「じぶん」はどうしたいのかを、決めることでしょう。
いつも「不安」を抱えている「じぶん」でありたいのか?
それとも、そうじゃない「じぶん」として生きるのか?
それを決めるだけ。
だって、「じぶん」がやれることは、
たくさんはないんですから。
[2011.4.15]
(ほぼ日、糸井重里)
>「じぶん」はどうしたいのかを、決めることでしょう。
>いつも「不安」を抱えている「じぶん」でありたいのか?
>それとも、そうじゃない「じぶん」として生きるのか?
>それを決めるだけ。
なるほど~とうなずく「まほ」がいます。
どう生きたいか・・・決めたら、ずいぶん心配が消えました。
まほは「しあわせに生きたい」と思いました。
じゃあ、どうすればしあわせになれるかと言ったら、
まほがしあわせだと思える思い方に
焦点を当てていけばいいんだと。
まほがカレンダーを出会えた人の誕生日で埋めたいのは、
毎日、最低一つの喜びが持てるからでした。
でも、でも、
今はそれより、朝目覚められ、
今日という日が与えてもらえたこと、
そのしあわせをありがたく思えます。
自分のこころがしあわせだと、
家族も、そうして周囲の方も、
ほほえんでくれる・・・って感じるんですよぅ。
このあたりのまほの性格は、かなりお得です。(わらい)
泣いてばかりの人生も、
笑ってばかりの人生も、
しあわせばかりの人生も、
ふしあわせばかりの人生も、
そんな一色の人生はあり得ませんよね。
他人に対し、
かわいそうと泣くことに、
人はもう少し慎重で
なければならないのだろう。
助力できるなら、教えるのなら、
最後まで支えつづける覚悟が
あるのなら、泣けばいい。
…
勝手に泣いて、かわいそうがって、
自分の気持ちだけ浄化して、
微笑んでサヨナラなんて、無責任だ。
無責任な覚悟のない優しさは、
ただの憐れみにすぎない。
(ガールズ・ブルー、あさのあつこ)
この言葉、まほには心がチクリと痛む思いです。
『そうだよなぁ』と感じ入ると同時に、
『うんうん』と思えるまほもいます。
震災後の今って、そうかもしれませんね。
上記の言葉を聴くと、被災地の方の中に、
「がんばれ」「いのる」という言葉は
聴きたくないとおっしゃられるお気持ちが
わかる気がするんです。
>無責任な覚悟のない優しさは、
>ただの憐れみにすぎない。
そうですね。
病気を体験した「まほ」なら、
わたしにも覚悟がなきゃいけません。
無責任な励ましは被災者の人を傷つけ、
悲しみを大きくするだけかもしれません。
被災された方々の、
明るい笑顔やだいじょうぶの言葉を、
被災された方すべてがそうだと
思いこんだらいけない気がします。
また、まほは、振り返って、ブログ上で
当時は「絶望」しかなかったとつぶやいています。
けれども、実際に「絶望」したと、
家族や親友に言ったわけではありません。
たしかに、絶望感はありました。
でも「絶望」という言葉を口にしなかったのは、
口に出せば、どんどん壊れていく自分が
コワかったからかもしれません。
もうこれ以上、家族を悲しませたくないと言う、
まほのプライドだったかもしれません。
10年が過ぎ、「絶望」という言葉が書けるのは、
あきらめなければ可能性は無限大だとわかったからです。
そうして、はっきり自信を持って言えるのは、
「絶望」こそ、「希望」の卵だと。。。
こんにちは。
まほ地方は夜雨だったのか、曇り時々晴れといった状態です。
雨だと散りだしますね。また来年会わうね・・・ってなりますね。
ほんとうですね。裏返しですね。
そう思っておくと、いいことばっかり欲張らないですみます。
4月4日の和は無限大の「8」ですし、
しあわせダブルの佳き日です。
どうぞ、鍵コメさんもよい週末を。。。