しあわせは感じたもん勝ちです・・・
たかだか
にんげん
100年のいのち
勝ったも
負けたも
あるもんか
そんなもんで
勝ち負け
きめられたら
たまらんがぁ
だけど
だけど
ひとつだけ
しあわせは
感じたもん勝ちさ
2009.12.20
書道の先生・ひまわりさんが、わたしの詩を、
ペンで書いてくださいました。
お元気でいらっしゃいますか。
いつでもご連絡くださいね。。。
私たちの日々は、
ちいさくてささやかなことが
ささえているのかもしれない。
面倒だと思いながら
掃除機をかけたり、
米を研いだりというような。
(まひるの散歩、角田光代)
人はそれぞれの道をたどる。
まっすぐな道、折れ曲がった道。
その人の性質によっても道はちがう。
その人がなにを最善と見なすか、
なにを最適と見なすかによってもちがう。
しかし、どの道も
たどっていけば、
あなたにたどり着く-
どんな川も最後は
大河に流れつくように。
(食べて、祈って、恋をして エリザベス・ギルバート)
また来週仲良くしてくださいね。
佳き週末を。。。
☆これからは『情報』の時代ではなく、
『体験』の時代になると思います。
その点、きっちり学ぶと、
学んだことは『体験』になります。
学ばない知識は情報に過ぎません。
☆『柔軟に変容できることが自分の基本なんだ』
というアイデンティティを持つと、
固定化していないので状況変化に強くなる。
学ぶ人間は状況変化に強く、
ストレスが少なくなっていくのです。
(人はなぜ学ばなければならないのか、齋藤孝)
この言葉に深く感じ入ります。
まほも体験は宝だと思っています。
たとえ、苦しく、つらいことでも、
さなかはわからないけれど、振り返れば、
人生の糧になっていると思えるんですよぅ。
体験した人がいてこそ、わたしたちは学べます。
どう苦しい中を乗り越えてきたか・・・
どんな言葉に励まされたか・・・
どんな思い方をしたのか・・・
伝えていける今があることを
まほはしあわせに思います。
体験することは、知恵の宝庫ですし、
また知らない「自分」と出会えることのような気がします。。。
さて、今日は、
ずっと書こうと思っていたことを、
頭を整理しながら
まほの今の思いを伝えさせていただきます。
まとまりがない文章であることを、
先にお断りしておきますね。
人間は、どうして
悲しく、つらくなるのか・・・
を考えてみました。
つらいというのは
体が痛いというのもあるでしょうが、
ほとんどは「こころ」が
痛いんじゃないでしょうか。
どうして、こころが痛くなるかと言いますと、
考えることを通り越し、悩みだすからです。
子どもは小さいとき、悩みませんね。
特に悩み多き幼児・・・
なんて聞いたことがありません。
歳を重ね、知識が増えていくほど、
悩みが増えます。
知識が増えたら、
疑問が減るんじゃないのって思いますよね。
はい、そこがミソなんです。
正しい知識ならいいんです。
でも我々の多くは、勝手に自分の体験をもとに、
わるく、悪く考えるんです。
つまり、間違った「思い込み」をするんです。
例えばですね。まほの例でいきますと、
病気になった→ダメなこと
歩けなくなった→ダメなこと
文字が書けない→ダメなこと
耳が聴こえない→ダメなこと
家事ができない→ダメなこと
・・・
こんな風に思いこむと、
病気になったことは
「絶望」しかなかったんです。
でも、この10年で・・・
そうじゃなかったことがはっきりしました。
絶望から「切望」へと気持ちが・・・。
ゼツボウの点々をとって、
「セツボウ」に代えました。
過去の思いを捨て、
また未来へのありもしない不安を
捨てたんです。
この「捨てる」ところに、
いまを楽しく過ごす『コツ』がありました。
朗読させてもらいました。ありがとうございます。(._.)ペコリ