あたしはあなたが望むものを差し出せているのでしょうか・・・それとも
まほファミリーのみなさん、おはようございます。
また、みなさんなかよくしてください。
まほの言う「なかよく」は共に幸せになりましょうということです。
暖かな目でまほ(アネキ)&まほっち(いもうと)とお付き合いください。
「あなたが欲しいものを」
あたしが
与えたいものを
与えるんじゃなくて
あなたが
今欲しいものを
届けたい
泣きたい人に
泣くんじゃないと
言わないように
がんばれない人に
がんばれって
言わないように
2011.03.30
想像したって
いいじゃないか。
夢をみることも
できない人生なんて、
悲しいし、むなしい。
夢をみるのに
お金はかからないし、
普通はそれでだれかを
傷つけることもない。
夢みた本人が傷つくことは
あるかもしれないけど。
(あの雲を追いかけて、アレックス・シアラー)
人生を左右する分かれ道を選ぶとき、
一番頼りになるのは、いつかは
死ぬ身だと知っていることだ
と私は思います。
ほとんどのことが
-周囲の期待、プライド、
ばつの悪い思いや失敗の恐怖など-
そういうものがすべて、
死に直面するとどこかに行ってしまい、
本当に大事なことだけが残るからです。
自分はいつか死ぬという意識があれば、
なにかを失うと心配する落とし穴に
はまらずにすむのです。
人とは脆弱なものです。
自分の心に従わない理由などありません。
(スティーブ・ジョブズ II 、ウォルター・アイザックソン)
さて、今日は、
ずっと書こうと思っていたことを、
頭を整理しながら
まほの今の思いを伝えさせていただきます。
まとまりがない文章であることを、
先にお断りしておきますね。
人間は、どうして
悲しく、つらくなるのか・・・
を考えてみました。
つらいというのは
体が痛いというのもあるでしょうが、
ほとんどは「こころ」が
痛いんじゃないでしょうか。
どうして、こころが痛くなるかと言いますと、
考えることを通り越し、悩みだすからです。
子どもは小さいとき、悩みませんね。
特に悩み多き幼児・・・
なんて聞いたことがありません。
歳を重ね、知識が増えていくほど、
悩みが増えます。
知識が増えたら、
疑問が減るんじゃないのって思いますよね。
はい、そこがミソなんです。
正しい知識ならいいんです。
でも我々の多くは、勝手に自分の体験をもとに、
わるく、悪く考えるんです。
つまり、間違った「思い込み」をするんです。
例えばですね。まほの例でいきますと、
病気になった→ダメなこと
歩けなくなった→ダメなこと
文字が書けない→ダメなこと
耳が聴こえない→ダメなこと
家事ができない→ダメなこと
・・・
こんな風に思いこむと、
病気になったことは
「絶望」しかなかったんです。
でも、この10年で・・・
そうじゃなかったことがはっきりしました。
絶望から「切望」へと気持ちが・・・。
ゼツボウの点々をとって、
「セツボウ」に代えました。
過去の思いを捨て、
また未来へのありもしない不安を
捨てたんです。
この「捨てる」ところに、
いまを楽しく過ごす『コツ』がありました。
さて、今日は昨日のつぶやきの続きを
書きますね。一部を抜粋しますと、
病気になった→ダメなこと
歩けなくなった→ダメなこと
文字が書けない→ダメなこと
耳が聴こえない→ダメなこと
家事ができない→ダメなこと
こんな風に「思い込む」と、病気になったことは
「絶望」しかなかったんです。でも、この10年で・・・
そうじゃなかったことがはっきりしました。
そもそも、こういう「思い込み」は
自分自身をつらく、悲観的にしました。
「駄目なこと」と
「マイナス」ばかりあげていたわたしは、
感謝することに見方を代えました。
病気になった→つらい人の気持ちがわかった。
歩けなくなった→歩けた足に感謝。
文字が書けない→パソコンや代筆してくださる人に感謝
耳が聴こえない→補聴器や字幕テレビに感謝
家事ができない→助けてくれる家族や周囲に感謝。
奇跡的に命を助けていただいたという感謝の心は、
徐々に、絶望感から私を救いだしてくれました。
すぐにそう思えたわけではありません。
一年近く、何にも楽しみがありませんでしたから。
救われたのは、家族や周囲が、
いつまでもぐずぐずし、
現実を受け入れようとしていないまほの心を
焦らさず、ありのままを認めてくれた
「やさしい」言葉の数々でした。
そうして、この長い時間、
まほなりに悩み、苦しんだからこそ、
今こうして、みなさんに伝えることができます。
病気になり、
すぐに歩け、
元通りになった体でしたら、
みなさんと出会うこともなく、
相変わらず、
感謝のない、横着な生き方でしたでしょう。
すべては、わたしへのチャンスであったのです。
だれもが初めての体験は不安です。
不安という感情があって当然なんです。
この「つづき」が大事です。
不安であるために、
自分はだめかもと否定の言葉を
自分自身に浴びせていると、
仮の不安が、本物の不安となって
どんどん巨大化していきます。
そうして、みなさんの心を「不安」で
埋め尽くすのです。
そうすると、このあたりが重要なポイントと
なってくる気がします。
不安を「ファン」に代えるんです。(おやじギャグか?)
つまり自分の味方にしちゃうんです。
「だいじょうぶ、オマエならできる」と唱えます。
そうです。自分を肯定しまくるんです。
脳というのは自分の思いに反応します。
ですから、心が安心する言葉を使うことで、
脳も安心するのです。
確かに闘病中は、
40代のまほにも、かなりつらかったです。
(超健康体で病院嫌いでしたもん)
でも永遠ではありませんでした。
今つらい思いのみなさん、こらえてください。
泣いたっていいんです。愚痴ってもいいんです。
どうぞ、吐き出して、少しでもお心を軽くしてください。
最終的にあなたを救えるのは、あなたの心しかありません。
「まほ」はいつでも、
あなたさまを支えさせていただきます。
過去の思いも、未来への不安も、手放しましょう。
そうして「しあわせ」をつかみ取りましょう、約束ですよ。。。
「見方を代えて味方に」
歩けなくなったと
嘆くな
不自由な人の気持ちが
体験できると
よろこべ
握力が
ないことを嘆くな
行儀が悪くても
大目に見てもらえると
よろこべ
しゃべりかたが
子どもみたいだと嘆くな
気持ちが伝えられることを
よろこべ
耳が
聴こえないと嘆くな
雑音に惑わされないことを
よろこべ
家事が
できないと嘆くな
助けてくれる人がいることを
よろこべ
障害を
もったことを嘆くな
人生を続けられることを
よろこべ
そうして
そうして
最期に
わらって
「ありがとう」が言える
人間になれ
今朝はとても寒く遅霜が観れましたょ。。。! !
それでも4時半もすぎると明るくなりはじめ。。。
とても清々しい気分になれました。
読むほどに感心しました。今朝の文章も重く受け止めました。私には何が出来るかわかりませんが。。。いつでも言って下さい。
私のできる事を。。。
こんにちは。
感想をお寄せくださってありがたいです。
とんでもありません。。。
お元気にてランをお続けになり、自然の移ろいを
お写真に納め、ブログ記事を見せて頂けることが、
ありがたいのすよ。
多摩太郎さんのあたたかなお気持ち、確かにいただきました。
ありがとうございます。。。