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ありがとうはまほ(う)のことば

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haruさんに朗読頂きました・「人生での勝負」

「ゆっくり生きる」のharuさんが
まほの「人生での勝負」の詩を朗読くださいました。
自分を励ますために書いた愛着のある詩です。
ぜひ聞いてください。
書道の先生・ひまわりさんの作品も素晴らしいですよ。

ご訪問は こちら 

人の成功を妬んで
石を投げてくる人なんか
どこにでもいる。...
でもね、そんな人たちが
投げる石なんか
かすりもしないくらい、
あんたは自分が思う以上に
高いところまで行けているの。
それでも、不安なら、
もっともっと昇ればいい。
昇れば昇るほど、
石を投げてくる人が増えるだろうけど、
投げた石はあんたには当たらない。
投げた本人にかえってくる。
ほうっておけばいんだって。
(望郷、湊かなえ)

ものを見るのは、目ではなく脳よ。
見たもの聞いたもの、
さわったものも匂いもすべて、
感覚は脳で解釈してそういうものになっている。
言ってみれば、私たち、脳の内側に
存在したものをそこに存在すると信じるの。
(RDGレッドデータガール2 はじめてのお化粧、荻原規子)


5日と今日がお誕生日の方、おめでとうございます。
昨日6日はまだ埋まっていませんので
愛するご家族やご友人のお誕生日を
お祝いさせてくださいね。。。





Commented by mahorou at 2014-04-07 11:58
2010過去記事

壮絶だったとたくさんのお医者さんが言われました。
その壮絶の意味を知ったのは最近です。
とにかくすべての数字が悪すぎたと
家族は言いました。
わたしの体には、機械と直結したものが
取り付けられていて、
ありとあらゆる数値がデーターとして
表示されたそうです。

問題は熱。40度を超える高熱、
血圧も悪い数値。
だれもが絶望と思える数値だったそうです。

そんな事とは知らず、
能天気だったわたしでした。
人の命のはかなさを思うと同時に、
わたしはなんと、なんと、幸運をいただいたのかと、
感謝しかありません。

ならば、ならば、
わたしはありがたさを思うだけではなく、
まほにできることをさせていただこうと思います。
行動するために、壊れなかった頭と、
見える目、動く指の3拍子が残されました。

春は、新しいスタートを切る絶好の季節です。
わたしは自分を助けてくれる友を
最低三人持ったらいいと考えています。
春という漢字を分解しますとね。
三+人+日…なんですよぅ。
わたしも三人のうちの
一人にさせていただきましょう。

Commented by mahorou at 2014-04-07 11:59
つづき

あなたとわたしと、
もう少しの応援者がいれば、
苦しくてもきっと乗り越えていけます。
いえいえ、あなたがこの世に生きていてくださる・・・
それだけで、救われている人が多いんですよ。
だって、あなたはあなたの「応援団長」ですから。。。


Commented by mahorou at 2014-04-07 18:28
2010過去記事

わたしは入院中の2002年は、
人生で一番頑張れた時期だと思います。
いえ、そのとき以外にも、
本当はもっとがんばっていたはずですが、
がんばっているのに、つらい・・・
そんなときがありました。

がんばって、がんばっているのに、
結果は出ず「つらい」というのは、
なぜなんだろうと、自分の体験を振り返り、
こういうことかなと思ったことを書いてみますね。

それは、たぶん、「がんばる方向」が
違っていたんじゃないかと、
50代のまほには思えるのです。

「がんばる方向」ってなんやと
いう声が聞こえます。
説明してみますね。
たとえば、風邪(腹痛もある)なのに、
胃腸薬を飲んでいては、
咳やのどの痛みは消えず、
風邪が完治しないようなものです。

つまり、風邪にあたるものが、
みなさんのこころなんです。
心にぴったり効くお薬じゃないと、
こころの痛みは消えないのです。

そう考えますと、
がんばって、がんばっているのに、
つらかったことが、証明できます。
Commented by mahorou at 2014-04-07 18:28
つづき

まほはこころの要求と違うことを、
がんばっていたんです。

歩けるように、元気を出して、
がんばらなければならない。
この、○○しなければならない、
mustという感情が、
まほのこころを苦しめていました。
ですから、リハビリをがんばっても、
腰すら上がらない、
車いすに数分しか座っておられないと
いう事実は、まほのこころに
「駄目な奴」「辛抱が足らない奴」という
レッテルを貼り、リハビリ自体を
苦痛なものにしました。
当然、リハビリも楽しくありません。
ただのノルマですからね。

そこで、こんなことでは、
退院の望みの綱であるリハビリ自体が
嫌いになってしまう・・・
そう思ったんです。
結果なんて、いいじゃないか。
自分がリハビリを楽しむことが先決。
リハビリを嫌いになったらだめだと思いました。

わたしは言われたことができないと、
先生に詰め寄って、出来ない理由を探していました。
いまなら、こんなことをすればするほど、
自分を落ち込ませるって、わかります。
自分が掘った落とし穴に、
まんまと落ちる方向でした。
Commented by mahorou at 2014-04-07 18:29
つづき

いくら、原因を探っても、
できないことはできないんだ・・・
そういう風に「がんばる方向」をかえたんです。
そうしたら、自分のこころのつらさ・痛みが
消えていったんです。

結果を気にせず、リハビリが楽しめたんです。
調子よくできたときは大いに喜び、
調子が悪い日でも、明日またがんばろうと
思えたんです。

たぶん、自分のきもちに逆らって、
○○しなければという気持ちを持たず、
結果より、過程を重んじたことが
よかったと思うんですね。

○○しなければを○○したいに
かえた事が大きいと思います。
つまり、mustからwantにしたんです。

川の流れに逆らわず、
志(しあわせに生きる)だけは持って、
流されてみたんです。
そうして、気づけたんです。
人間のこころが苦しいのは、
こころに思っている自分の気持ちを
否定していたときだと。
自分のこころを肯定すれば、
心が喜ぶのだということを。
ありのままを認められない、
受け入れない心が、
自分をつらく、
しあわせから遠ざけていたということを。

しあわせになる「つぼ」は
自分の感じている気持ちに逆らわないことだと、
まほは思いましたよ。


Commented by mahorou at 2014-04-07 18:34
2010過去記事

わたしは人にやさしくしなきゃあとか、
親切にしなきゃあとか・・・
強く意識して生きているんじゃないんですね。

そりゃ、人にやさしくできたら素晴らしいですが、
素晴らしい人と思われようとしているんじゃないんですね。

極論すると、人さまがどう思おうが、
わたしはわたしと言うのがあるのです。
なぜなら、人さまの批判を苦にしていたら、
生きていくことが苦痛になるからです。

そうすると、わたしは自信がなくなり、
泣いてばかりの暗い自分になると知っているからです。
それは入院時代の過去の自分と重なるんです。

わたしはね。わたしはね。
自分にやさしく、親切にしようと思ったんです。
人にやさしくしなくても、
自分に対して、やさしくしていたら、
人さまにもやさしくなれるんです。絶対に。

人を愛する…難しく考えなくていいんです。
自分を好きでなくてもいいんです。
こんなにもつらくても、生きている自分を
嫌いにはなれない・・・
この思いがあれば充分なんです。

Commented by mahorou at 2014-04-07 18:34
つづき

まほは自分を嫌いになれません。
だって、まほが自分を見捨てたら、
かわいそうじゃないですかぁ?
だれが味方になってくれるんですか?
まほが自分を愛せないなら、
人さまに愛されるわけがないでしょう?

みんながご自分にやさしくできたら、
きっと素晴らしい世の中になります。
人にやさしくするなら、
ご自分にもっとやさしくしてくださいませんか?

Commented by mahorou at 2014-04-07 18:40
自分の過去記事を読み返すと、
必死だったんだと思えます。
今じゃこんな長文打てないし、気持ちをつづる自信がありません。

みなさん、読んでくださってありがとうございました。
また明日の朝、お会いできますように。。。
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by mahorou | 2014-04-07 11:31 | haruさんによる朗読 | Trackback | Comments(8)

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