コメント欄について…あしあと帳②(2010.01.24~)
おしらせ
コメント欄ですが、あしあと帳①が長くなり、
不便をおかけしています。
「ありがとう」の感想なり、「来たぜ」のあいさつに、
ここのコメント欄をお使い下さい。
お気に入りの詩があれば、お書き下さると、
まほは泣いて喜びます。
2010.01.24 まほ
★コメントの仕方
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後ほどご訪問させていただきます。
まほにだけ読んでほしいと言うコメントの際は、
「非公開コメント」の欄にチェック(レ)を入れてくださるだけで、オッケーです。
ブログを始めた時、コメントって、どうすれば入れられるのか、
それさえわからなくて、みなさんに教えてもらいました。
だから、今度はそれをお返ししたいと思います。
今日からここにコメント書いていってください。
よろしくです。
いつもご訪問ありがとうございます。
ゆっくりしていってくださいね。
201.01.24 まほ♪
まほさんの愛情深い言葉で 私はまた少し強くなれました
まほさんを母のように思っててもいいですか?
言葉って 本当に素敵!
こんなにも 心が温かくなる言葉が
私は大好きです
これからも どうぞよろしくお願いします^^
ありがとうございます。
もちろん喜んで。。。
そうですね。言葉っていいですよね。
それを発する人間も大好きです。
歳を重ねると、人様のやさしさに触れる機会が多くなりますよね。
無邪気に何も考えずといいますか、
考えていても、大人のように心にためずに、
スルーさせていくということが、子どもには出来ます。
そういう反面、口が達者なのが大人ですが、
何でもかんでも自分が思ったことをそのまま言うというのは、
心が賢い大人がすることではありませんね。
…しかし、人間とは弱いもので、
人さまを羨むあまり、自分の心に負けまいとするのか、
他人を中傷しうっぷんを晴らそうとしてしまうようです。
誰もが他人の痛みには耐えられるのに、
自分の痛みにはちっちゃなことでも、
大きく感じ、つらいものですよね。
でも、そういう痛みに対し、寄り添ってくれる人が、
温かい思いやりのある言葉で、
つらい心を救ってくれるのですね。
愛のある言葉って、みんなを幸せにしますものね。
こちらこそ、よろしくお願いします。
今日はいつまでたっても変われない自分にいい加減嫌気がさしていたところ、今の私にぴったりの詩を読ませていただきました。
他人のせいにしない言葉「不満足」は確かに自分自身ですね。
ありがとうございました。
おはようございます。
お越しいただいて、ありがとうございます。
心の友さんのブログを拝見し、気づくことの大切さや
自分を磨く方法に触れて、とてもありがたく思いました。
こちらこそ、ありがとうございます。
歳を重ねながら自分を磨いていけたら、いい人生にできると思います。
毎日仕事あいてるときに見ています。
イッパイあってどれからって・・・
焦らずゆっくりとじっくり読んでいます。
宮尾さんの3.4・・・・に感激しました。
何度でも読もうって全然進みませんが・・・
気持がありがとうの『ありが』までたどり着くのに時間がかかりました。って自分では思っています。
すらっとありがとうが言えるまでまた読み返します。
分かってるんですが・・・
時々横道に反れてしまいます。なぜかなぁ~~
自分を見つめ切れてないんでしょうね!
雑念が多すぎる事もあるんですが・・・
今日はここまで おやすみなさい♪ まほさんへ
まだまだです。(笑)
おはようございます。
お忙しいのに、貴重な時間を割いて読んでいただけますこと、
感謝です。
3と4ですか。ありがとうございます。
★マーク追加させていただきますね。
>すらっとありがとうが言えるまでまた読み返します。
>分かってるんですが・・・
>時々横道に反れてしまいます。なぜかなぁ~~
>自分を見つめ切れてないんでしょうね!
>雑念が多すぎる事もあるんですが・・・
みんな人間おんなじですよ。
歳を重ね、悩みながら気づいて行くんだと思います。
知らないことだらけで、人さまの考え方とかを聴き、
自分に足りないところを教えてもらったり、
元気をいただいたり、幸せなんだと気付かせてもらっているんですね。
お陰さま、お互いさま…ですね。
また、よろしくお願いいたします。
出来ることがあると信じて
毎日を過ごしています
そうすることで
たとえ天寿を終えたとしても
残された者が
しっかりと生きていけるような気がして
心の中で生き続けられそうなきがして^^
>元気な今だからこそ。
>出来ることがあると信じて
>毎日を過ごしています
本当ですね。しみじみ共感いたします。
どうすることもできないこともあり、
確かに努力だけではだめな現実がありますよね。
>そうすることで
>たとえ天寿を終えたとしても
>残された者が
>しっかりと生きていけるような気がして
>心の中で生き続けられそうなきがして^^
おっしゃられる通りだと思います。
jibundenaiwatasiさんの生きざまが
ちゃんとお子さんに伝わってますもんね。
学校の授業参観も、
副校長先生の強い味方ができよかったですね。
また大野さんのコンサートにも行けるようになられたとかで、
本当によかったですね。楽しんできてくださいねえ。
しあわせとふしあわせは裏表なんですね
くるっと裏返せば、どちらも起ってくるのですね
それに気がつくと、じたばたしなくなってきますよね
かけがえのない今が、静かに起きています
ありがとうございます!
おはようございます。
>しあわせとふしあわせは裏表なんですね
>くるっと裏返せば、どちらも起ってくるのですね
>それに気がつくと、じたばたしなくなってきますよね
そうなんですよぅ。おっしゃるとおりです。
我々はついつい、自分は不幸だと思っちゃうんですが、
そもそも人生、しあわせだけが続くことも、
ふしあわせだけが続くこともあり得ないんですね。
人間がどうして不安になっちゃうかというと、
未来が見えない、感じられないからなんですね。
もちろん、未来は目で見えませんから、自分が感じるしかない。
どう感じるかということになるのですが、
物事を知っていないと不安ですよね。
でも、人生ってこういうものだと知っていれば、心強いし、安心します。
なんでも、未知なることって、不安じゃないですかぁ。
先に進んだ人生の先輩に訊けば、「なぁんだ、そうなのか」ということ、よくあると思うんです。
だから、何も心配せず、ある「いま」を楽しんでくださいね。
ありがとうございました。
今日アップしてくださった心にとめておきたい言葉。
すべて自分の心に刻みたいと思いました。
というか、こういうことを私も思うから。
私って何のために生きてるのかなって思ったり
(たぶんそれは私の手元に来た猫や犬たちを、自分のできる範囲ではあるけれど、幸せにしてやれよ~というものかも?=人間の子供には恵まれなかったので)。
でもね、私がそのときが来たら、私は自分でできる限りのことをしたよね、それで幸せだったよねって思いたい。
50を過ぎて、この先どれくらいの寿命があるのかわからないけど、その時に私って生きてて誰か(人間とは限らないけど)の何かの訳に立ったよねって思えればなって。
車いすガーデニング、とっても素敵!
是非、種から育ててね ^^v
おはようございます。
うんうん、全く同感。
>この先どれくらいの寿命があるのかわからないけど、
>その時に私って生きてて誰か(人間とは限らないけど)の
>何かの訳に立ったよねって思えればなって。
わたしもそう思います。
自分にできることをしたら、いい人生だったと思えると思います。
>車いすガーデニング、とっても素敵!
>是非、種から育ててね ^^v
ありがとうございます。やっと、相方もその気になりつつ…。
相方が定年し、時間ができたら、楽しもうと思います。
だから元気でいなくっちゃ。(わらい)
そうなんですねえ。なるほど。
いいですね。双方がしあわせを感じる心って素敵ですよね。
負担になるようなことなら続けることないですが、
人間関係の潤滑油って、大事ですもんね。
相手を思いやるっから、相手も思いやってくれます。
いいお休みを。楽しんでくださいな。
さっそくお越しくださって、ありがとうございます。
ここは非公開コメントもできますので、
いつでも遊びに来てください。
ご返事が遅れごめんなさいね。
こちらこそ、よろしくお願いします。
おはようございます。
ありがとうございます。そうですね、ご心配いただく詩ですね。
そう感じていただけて感謝です。
昨年は凹んだりもあったのですが、
これがわたしにとってはいい勉強になり、
歳を重ねられる素晴らしさを実感しました。
はい、わたしはひつじ年の昭和30年生まれで、
この秋、55歳になれますよ。
命が助からなかったら、
44歳の誕生日を目前に旅立っていました。
若いころは女性に年を聴くのは失礼よと怒られましたが、
わたしは年齢を答えられること、誇りです。
だって、それだけ生かしてもらえているんですもの。
貴齢(きれい)に歳を重ねたいです。
今のところ、心配事はありません。安心してくださいね。
また悩んだときは、相談に乗ってくださいね。
ご心配いただいたこと、ありがたい幸せです。
ほんと素敵な言葉ですね。
心が素直に惹き付けられていきます。
もう昔のことですが、ある人が、ぽつりと言いました。
「わたしは、言葉は信じない」
阿呆なわたしは、彼女の吐いた言葉に反応して、
「あなたを思っての言葉と、そうではない言葉の二つがあるのではないですか」と。
彼女は遠くを見つめていました。
言葉ほど好い加減なものはありませんけど、
その言葉にそっと魂を入れることもできるのですね。
巷には、飾った言葉が多くてイヤになります。
真実がありません。
でも、透き通った言葉もあるのですね。
ふとそう思いました。
「貴齢(きれい)に歳を重ねたいです。」
まほさんの心の言葉なのですね。
このご時世ですから、心の美しさほど貴いものはないのだと思っています。
おはようございます。
さっそくお越しいただいて、感想をいただきまして、ありがとうございます。
すごくわかります。
若いころと言いますと、その言葉そのものに反応してしまい、
その言葉の奥に隠された気持ちを感じることができませんでした。
どうしても、若さゆえに、体験が乏しく・・・
それが歳を重ねると、まるで霧が晴れたかのように、
視界がよくなり、言葉に隠された、人さまの気持ちが
読み取れるようになるものだと、思えてきました。
>言葉ほど好い加減なものはありませんけど、
>その言葉にそっと魂を入れることもできるのですね。
>巷には、飾った言葉が多くてイヤになります。
>真実がありません。
>でも、透き通った言葉もあるのですね。
>ふとそう思いました。
最後の2行に、ありがたいと感じました。
そうですね。心のこもらない言葉は、きっと人さまの心に響かないのでしょうね。
みんな、調子のいい「社交辞令」と受け取り、
少しでも、自分がもうこれ以上傷つかないための
「自己防衛」をしていたんだと思いますね。
(つづく)
(文字制限で、つづきです)
「わたしは言葉を信じない」も、
そういうところからきていたかもしれません。
そういう風に言葉にはしてますが、
「わたしは本当は信じていたいのにぃ」…
みたいな叫びがあったんでしょうね。
歳を重ねますと、言葉そのものに反応するより、
どうして、そういう言葉を使わざるを得なかったかを
考えられるように、ちょっとばかし、わたしも成長できたかもです。
傷つきたくないと思っていた若いころと違い、
傷ついてこそ、人さまの痛みが分かる…
ならば、傷ついてみよう、恐れずに…って思い始めた自分に
ちょっぴり驚いているこのごろです。
はい、貴齢に歳を重ねますね。
よろしくお願いいたします。
ありがとうございました。
ありがとうございます。
まほさんの生きるということが現れていて、
心温まります。
こちらこそ、よろしくお願いいたします。
ちょくちょく寄せて戴いて、あったまっていきますね~
綺麗に歳を取る――
歳を取ることは自然なことですけど、
本来貴いことなのでしょう。
若さが、商品になってしまって、
若さを失うことに否定的になっていますけど、
もっときちんと見つめないと、、、
言葉では簡単なんですけど、わたしも良く分かっていません。
飾っただけの言葉がもてはやされて、
彼女の言葉の重みを別のところで感じてしまいます。
関係を抜きに語ってしまいましたけど、、、
「貴齢」という言葉、使わせていただきますね。
ほんと、そこに魅力を感じるには、離れたところから
見ていたのでは分からないのかもしれませんね。
こんばんは。いつもありがとうございます。
そうですね。歳を重ねるというのは、とても尊いと思います。
しかし、現代、若さだけがもてはやされ、極論すれば、
熟年世代がきらわえれ者のようにされていますよね。
若者が「モウロクババア」とののしったら、おばあさんが、
「モウロク」と言う漢字がかけるかと聞いたそうです。
耄碌という漢字、老いるに「毛」が生えているんですよね。
すごいよ、おばあちゃん!と思いました。
なんといっても、お年寄りはつらいことがあっても、
歯を食いしばって生きてきた人生の賢い知恵をお持ちです。
もっと、我々が、大事に敬うべきですよね。
敬老の日だけじゃなく…。
そうですねぇ。ときには距離を持つことも大事ですが、
なんと言いますか、現実から目をそらさないというのも、
大事ではないのかなぁと思います。
今が重いものだとしても、ふたりで背負えば、軽くなりますもんね。。。
(勝手に推測で感想を書いて、ごめんなさい)
おはようございます。
自分のことを振り返って、書いてみますね。
わたしが絶望から救われたのは正しい言葉ではありませんでした。
医学的には正論なのでしょうが、「お気の毒に、お酒もたばこもされないのに・・・」
という言葉は落ち込んでいるわたしをさらに落ち込ませました。
わたしが絶望から救われたのは「やさしい」言葉でした。
夏場なら、アイスクリームを外に出しておいたら、すぐに溶けますね。
冬ですと、なかなか溶けませんが、時間がたてば必ず溶けます。
人間の心も一緒じゃないかと思うんですよ。
あきらめなければ、必ず春は来るんですよね。
思い心を軽くする…正しい言葉では人は納得できないかもです。
なぜなら、たぶん、その人の心は凍てついていると思うんですね。
私自身が、歩けなくなった自分を認められなかったように。
そんなとき、つらいね、うんうんと黙って話を聴いてくれることがありがたかったんです。
がんばってねと言われても頑張れません。
誰かに自分のつらい気持ちを認めてほしかったんですね。
心を抱きしめてあっためてほしかったんですね。
そんなことを思い出しました。
あさ忘れないうちに書かせてもらいました。
メッセージを戴きありがとうございました。
まほさんにどうやってメッセージをお返ししようかと思って、
ブログ(FC2)では一般(向け)にしか書けなくて、
本意ではなかったのですけど……
まほさんの言葉は優しくて、温かくて、着飾った言葉が席捲するなか、
言葉の奥には人がいるのだということを凄く感じました。
そうしてある方の言葉を、不思議と思い出したのですけど、
きっと、ご縁のある方ですから、この先、きっと再会があるようにも思えます。
なくてもそれはそれかなと……
ええ、深いご縁がないと出会わないのだと思っています。
もちろん、相手によって、深い浅いはあって、
運命の輪が交差するぐらい近くを通っても
それと気づかないこともあるのでしょうけど……
まほさんの言葉は不思議、、、「やさしい」言葉ですね。
「重い心を軽くする…正しい言葉では人は納得できないかもです。 」
「そんなとき、つらいね、うんうんと黙って話を聴いてくれることが
ありがたかったんです。
がんばってねと言われても頑張れません。
誰かに自分のつらい気持ちを認めてほしかったんですね。
心を抱きしめてあっためてほしかったんですね。」
ほんとそうですね。
人は人によって癒されて、人なんでしょう。
こんな時代ですから、しんどいことばかりが多いのですけど、
こういう中でしか生きられない。
極端に言えば、夢も現実もどちらも大切で、
両の足は別々のところに立っているんですけど、
どちらも大切なんだと思っています。
そちらに立ち寄らせていただきました。
糖尿病のこととか書かれていて、もうすこし遡って見させていただいたら、
ええ、ご病気のこと、それにリンク先には病名の説明頁がありました。
まほさんの思いの丈が伝わってきて、その中で、
まほさんは、深い、お優しいお心で、周りを見つめられるようになられたのですね。
まほさんの深い思いが伝わってきて、生きるということを考えさせられました。
こうして、メッセージをいただけますこと、嬉しく思いました。
意味のないところで切り分けてしまいますけど、一旦送らせていただきます。
ありがとうございます。
病気ブログから糖尿病、そうして11年前の病気にまで
たどり着いてくださったのですね。
本当にうれしく思います。
まほって一体何者かと関心を持っていただき、
言葉の出どころと言いますか、
想像をめぐらしていただけたこと、感謝です。
生きている人間には喜怒哀楽があり、
頭ではわかっても、こころがなかなか納得できません。
さなかはとても辛くて、耐えられない、逃げたくもなります。
だけど、だけど、それを押しとどまれるのが、
信頼できる家族や友人の存在だと思うんですね。
わたしも、命は助かったのですから、不幸中の幸いなわけですね。
今は心から思えますが、当初は腐っていましてね。
とにかく気力がないわけです。
でも家族や周囲は、頑張らなきゃだめとか、仕方がないじゃないかと
わたしをあせらせませんでした。
ただ毎日来ては、わたしが困っていないか、
心配事はないかを聴くだけでした。
さすがにわたしも自分に渇を入れるわけです。
いつまでくよくよしているのかって、思えてきましてね。
ですから、相手が納得できないようなつらい思いのときには、
正しいことでも心にしみません。
相手のつらい悲しみに寄り添うこと、これしかありません。
そうすると、相手さん本人の心が落ち着いてくるんですね。
自分のつらい気持ちを受け止めてくれる人が、
自分にもいたんだという安心感です。
そうすると、相手さんはご自分の心のお窓を開け、
前を向いて生きていこうという意欲が、必ず出ます。
あきらめなければ、必ず春はきますという言葉を、
わたしも信じて、今があるんです。
まほにできたんですから、できない人がどこにいましょう。
転んだっていいんですもん。起き上がって(助け起こしてもらって)
また歩き出せばいいんですよ…ね。
人が皆、正しい言葉を発しだしたら、さぞかし人間関係はぎすぎすしたものになるでしょう。分かっていても――気づかない振りをしているのかもしれませんが、ほんとに多いのだと思います。誰もが正しいと思い込んで、でも、正しいことなんて人の数ほどあるのだと思っています。
思いやりのある言葉――
これが本当に難しいです。言葉で書いてしまうと簡単なんですけれど、そう、人を思いやっていますとか、人を大切にしていますとか、ほんと言葉は便利です。
映画『グリーンマイル』のコフィーの言葉を思い出します。正確ではありませんが、コフィー言いいます。
余りにも多くの不幸を目の当たりにし過ぎて、疲れた、と。自身の力の及ばないところで、余りにも多くの残虐が繰り広げられている。毎日、毎日、愛を語って人を殺している、と。
心の中の悪魔は誰の心の中にもあります。恐ろしいことですけれど、気づかない狂気は自分の心の中にもあります。そうして、人は愛を語りながら、一方で人を殺しています。それが悪魔だと言えば、そうなのかもしれませんが、ただ、その狂気を認めないと、超克はできないようにも思います。
個室から大部屋に移るときに、車椅子で移動できない患者さんのことを思って、その方が「そら」に癒されること、窓際で元気になることを願って、婦長さんのお申し出――窓際のベッドに移ることをお断りすることは、ほんとできないことだと思います。
心からそう思うことはほんとできなくて、感謝する心があって、他者を思いやるお心が深いところにおありにならないとできないんだと思います。
それは言葉にすると簡単なんですけど、すぐにその心が濁ってしまうんですね。でも、濁ったことに気づかない,気づこうとしない、気づけないのでしょう。
ところで、ひなまつりの画像は素敵ですね。わたしがデスクに飾っているお雛様、お内裏様は折り紙なんですけど、お顔がないんです。
お顔はなくてもお心はあるのですけど、こうして具体的に、にこやかなお顔があると心も和みますね。
素敵な方を思いだしては、生きるということを修正しています。修正というより、ああ、心が弱っているなと感じてエネルギーを貰っているとでも言うのでしょうか。
おはようございます。
いえいえ、十分、お気持ち頂戴しています。
ありがとうございます。
おひなさまの写真で和んでいただけて、よかったです。
そういう気持ちで、ひなまつり企画を催したのでうれしいです。
デスクにおひなさまの折り紙、素敵ですね。
疲れた心が安らぎますね。
とってもいいことだと思います。
そうですね。正しさは人の数だけあり、自分に限りましても、
年齢や環境で正しさってかわりますものね。
太陽が東から昇り、西に沈むという真実は不変ですが、
ほとんどの事柄は、たいして、正解などないのかもしれません。
ただ、正しいと思う人が多いだけと言いますか・・・。
またはその逆で、自分自身が傷ついたりするものですよね。
ひとつだけ言えるのは、自分がしてもらって、ありがたかったことは、
人さまにしてあげても、傷つけることはないと思っているんですよ。
わたしはずいぶんと助けられてきましたから、
うれしかったことをお返しすると、みなさん喜んでくださいます。
つまり、多くの愛をいただいたんですね。
ですから、その愛をお返ししていることが、
自分を愛することにつながっている気がします。
>心からそう思うことはほんとできなくて、
>感謝する心があって、
>他者を思いやるお心が
>深いところにおありにならないとできないんだと思います。
ありがとうございます。感謝しかありません。
こうして、この世にとどめておいていただけたんですから。
てっこうさん、ほんとうにありがとうございました。
寒くて、わたし、とても辛くて、昨夜は精神病院行きの救急車を呼ぶ寸前でした。でも、薬(精神安定剤)を飲んで、なんとか落ち着きを取り戻しました。一人暮らしなので、とても不安な毎日ですが、まほさんの詩やまほさんが障がいに負けず生きていらっしゃることを思いつつ、わたしも、なんとか生きてゆけたらと思っています。
こんにちは。そうだったのですね。おひとりだと余計不安になりますね。
調子が悪い時なら2を8ぐらいに思ってしまいますよね。
入院中の個室がすごく怖かったんですね。
命綱がナースコールでしたからね。
ご自宅でしたら、どんなに心ぼそいかと思いますね。
いのちの電話と言うのをご存知でしょうか。
どうしてもの時は使ってみてくださいね。
友人は落ちついたと連絡をくれました。
ちょっとお待ちを。
ここに全国の電話番号が載っています。
http://www.find-j.jp/zenkoku.html
よかったらご利用になってくださいね。親身になって聴いてくださいますからね。
それに、目には見えなくても多くの方が応援しています。
ですから、だいじょうぶ、だいじょうぶ。
つらい時はつらいお気持ちを無理に抑えなくていいですもん。
つらいお気持ちはご本人しかわからないんですから。
救急車を呼ぶのも手です。
そういう方法を頭に入れておくだけで違いますもんね。
自分を護れるのは自分ですもんね。
また来てくださいね。ありがとうございました。
毎月10日にフリーダイヤル(無料)の電話相談を受け付けています---とのこと。
0120-738-556ですから不安に思っていること、
身近な人には話せないことも、
うんうんと聞いてもらってくださいね。
きっと、こころが軽くなると思います。
人間の心配ごとの大半って、未来のことですよね。
不幸になる前に、自分を不幸にしていることが多いので、
半分は不安が消える気がします。
だいじょうぶです。ちゃんと生きていけますから…ね。
まほさんの大切なページですから、
あまり居座っては、みなさんに申し訳ないですね。
今回のご縁を大切に、心からの言葉を大切にしたいものです。
まほさんは、大きく変わられたんですね。
人生の目的が変わって、
言葉にすると重みがなくなってしまいますが、
皆さんに伝えようと(返されようと)されていることが
ひしひしと伝わってきます。
さて、今朝、ある方に聞いてみました。
あなたを必要だから愛するのか、
愛しているからあなたを必要とするのか、
どちらですか?と。
日本人って、この辺りが曖昧模糊としているのでしょうか。
わたし自身いまだしっくりこないのですけれど、
家族への愛を考えると、自明(なはず)です。
愛すればこそ、時には立ち止まって
また先を共に見つめて、一歩一歩歩むのでしょう。
二人羽織のようなものです。
まほさんのこと、深く心に刻んで、
こちらこそ有り難うございました。
おはようございます。
ご丁寧にありがとうございます。
>皆さんに伝えようと(返されようと)されていることが
>ひしひしと伝わってきます。
そのように感じていただけまして、感謝です。
ありがとうございました。
>愛すればこそ、時には立ち止まって
>また先を共に見つめて、一歩一歩歩むのでしょう。
>二人羽織のようなものです。
まったく同感です。疲れたら休んで、元気になったら歩き出せばいいですものね。
これからも、お気持ちを言葉に載せてくださいね。
わたしも拝見させていただきます。
ありがとうございます。昨夜はよく眠られたでしょうか?
2005年の冬は寒さで指が動かず冬眠をしたのですが、
継続は力なりで、冬場でも指が動きます。
ありがたいですね。
却って今では使わないと衰えていくようで。(わらい)
お心遣い、感謝いたします。いつでも覗いてくださいね。
いつも、ありがとうございます。
ひな祭りの画像は、ほんと微笑ましくて、
心の中を清々しい春の風が
吹きすぎていくかのようです。
身近にいる方の大切さを
ほんとつくづく思います。
家族は凄く大切です。
お相手も、もちろん。
縁あって、わけあって、一緒になったのですから。
と、言いつつ、難しいなぁ~
というものは抱えていますけど、
少し、早めに気づかせていただいたということに
感謝しなければなりませんね。
素直になるのは、ほんと難しいですね。
だって、自分の中の素直なところを見つけて、
その素直を、素直に差し出してみせるのは
ほんと難しいですもの。
少々通じないくらい、それもまたそういうものです。
腐ることなく、そういうものですから~
でも、人智なんて知れていますから。
長~く愛して、ということでしょうか。
(書きながら、これもまた難しいなぁ~と
いえいえ、色んな方に愛されている訳ではありません)
こんにちは。おひなさまに和んでいただけてよかったです。
日頃はつらい環境の方でも、
ほっと一息つける場所があればいいと思いましたので、
とてもうれしい感想です。
>素直になるのは、ほんと難しいですね。
>だって、自分の中の素直なところを見つけて、
>その素直を、素直に差し出してみせるのは
>ほんと難しいですもの。
言えていますね。
なぜ生きにくいかといえば、
みなありのままを出せないからです。
悲しいのに、大人だから泣いちゃいけないとか、
我慢せよとかですね。
でも不自由な体になり思うのは、
我慢も時としては要りますが、
心を抑えつけてばかりですと、
こころはぼキッと折れてしまいます。
そうですね。長い時間をかけてでいいと思います。
人間、ピンチに立ったら強いですから。
わたしは、いま自分の心を否定していると、
たぶん・・・人生がとても辛いと思います。
家ではよく冗談で、
「そんなことを気にしていたら生きていけん」って言っています。
そういう意味では他人の目を気にしなくなりましたね。
車いすになったときは人の目が気になっていました。
…でも誰も、じろじろ見てはいませんでした。(わらい)
まほさん、いつもありがとうございます。
そうですよね。
ありのままのあなたを受け入れてあげましょう~
簡単にはできないのでしょうけど、
まほさんは、そうされているんですね。
ちょっと前に書きましたけど、
ある方に聞いてみました。
あなたを必要だから愛するのか、
愛しているからあなたを必要とするのか、
どちらですか?と。
伴侶とか家族への愛は(ほんとは)後者なんですよね。
ええ、大切なものは、なくしてから気づいたりするんですけど、
哀惜の念とか……
愛惜だったら、ほんと悲しいですね。
なんか深いところで結ばっているというのは、
理屈とか、そういうものを越えているのでしょうね。
でも、気づかない、気づけないというのも不思議なもので、
気づいたときには遅かったというのでは、
ほんと何のために生きていたんだろうって思うことでしょう。
でも、そこから、よっこいしょと、
歩み始めたらいいんでしょう。
いつもそうです。
思い立ったが吉日というのがありますけど、
気づいたときが出発点、
そこから始めればいいですものね~
どんと背中を押してくれる方がいれば一番でしょうか。
理由があって、好きなわけではなくて、
ありのままというか、あなた全体であなただし、
そのあなたが好きなわけですから~
(そうそう、だからではないのですけど、
ありのままの自分も愛しているんですね~
愛を受けた自分があって、
自分を愛する自分がいて、
そうして、その温かさをあなたにもと……
そう、あなたに、、、になるんでしょうね)
一緒に同じときを過ごしているだけで
本当は凄く稀有なことで貴いことなのでしょうね。
(つづきはまたあとで……)
こんにちは。いつもありがとうございます。
>でも、そこから、よっこいしょと、
>歩み始めたらいいんでしょう。
>いつもそうです。
>思い立ったが吉日というのがありますけど、
>気づいたときが出発点、
>そこから始めればいいですものね~
>どんと背中を押してくれる方がいれば一番でしょうか。
おっしゃる通りだと思います。
気づきに遅いも早いもないんだと思います。
気づくということは、気づけることの原因の
出来事があるわけですもんね。
しあわせも、しあわせのさなかでは気付けません。
不幸があって、はじめて気付けます。
自由も不自由になって、ありがたさに感謝します。
本来、失くす前に気付いたら、いいんでしょうが、
人間は豊かさになれすぎますと、
幸せや自由に感謝が薄くなりがちですね。
ですから、体験者から学び、
転ばぬ先の杖にする意味合いは大きいと思います。
背中を押してくれる人は、すべての出会いにあると思うんですよぅ。
人との出会いはもちろん、出来事や書物とに出合いもあると思います。
>ありのままの自分も愛しているんですね~
>愛を受けた自分があって、
>自分を愛する自分がいて、
>そうして、その温かさをあなたにもと……
>そう、あなたに、、、になるんでしょうね
おっしゃる通りだと思います。
そうですね。同じ時代を生きる。一緒に生きられることは
尊いことだと思いますね。
また書き込んでくださいね。
ありがとうございました。
遊びにきました~
背中を押してくれはる人って、
身近で生きている人とばかりは限らなくて、
でも、やはり、身近で生きてはる人の
温もりはほんと大切ですね。
そうそう、書くって、
見えない(見えていない)自分を確かめる
ことができるのかもしれません。
知らず、自分自身と対話しているような~
こうして、ブログを通してですけど、
まほさんとも出会えましたし、
多くの人と出会えました。
まほさんの書かれること、
心の中の温かい思いから
自然と流れるように紡がれるのでしょうね。
結構、ネット歴は長くて、
もう、十数年前ですけど、
チャットにはまったこともあって、
その頃にHPを作ったのですけど、
ほんとに、いろんな出会いがありました。
これも一つの出会いなんですね。
(今回関係ないことばかりで……)
間口を広くとらないと、あとでリカバリーが大変になります。
いつも思うのですけど、
立場で物事を考えていることについて
関係している方々に思いを寄せて、
いろんな角度から、
見つめてみることが肝要になるのではないかなぁ~と。
穏やかな感じではなくて、
孤立無援のわたしは
直ぐ、あほう、ぼけ、まぬけ~と腹立ちます。
知らず、人が尊大になり、
成果主義に陥ると、
結果だけを求めて、
できない部分は取り繕って、
そうして、責任は他に押しつけるということになります。
先日から、腹立って仕方ないんですけど、、、
ちょっとは、クールダウンしないと~
でも、そのときとか、その人にだけですけど。。。
まぁ、相性もあるかもしれませんね。
その分、自分がどうしてそうなるのかを
考える良いときでもありますから。
前のコメント返しでお名前を間違えて撃っていて、
気づくのが遅れました。
「O・オウ」が弱くて反映されず「てっくさん」となったようです。
お名前の打ち間違いは気をつけますね。ごめんなさい。
ネット歴、十数年ですか。
それはそれは先見の目をお持ちでしたね。
わたしは友人の勧めがなかったら、
手出しができないインターネットでした。
このご縁がなければ、わたしは不自由極まりなかったと、
感謝です。
ネットの出会いは、先入観を持たないだけに、
ある意味、冷静にものごとを考えられます。
物の見方も、百人いれば、答えは様々。
まさに、角度を変えてみると、景色が違うのと同じです。
どうしても、わかりあえない人と言うのがあります。
これはどうしようもないことですが、
人間は自分の考え方に近くないと、
てっこうさんがおっしゃる
「あほう、ぼけ、まぬけ~」となるわけです。
いまは、残念ながらわかりあうはずがないんですね。
「バカの壁」にも書いてありましたが、
話してもわかりあえないことはあるわけです。
言われて嫌な言葉ってありますね。
でも腹が立つと人に、自分が言われて傷ついた言葉なのに、
知らず知らずに使っていることあるんですよね。
人間って、いやなところはすぐに目につきますね。
でも人は怒られて伸びる人は稀です。
褒められてこそ、意欲が出てきます。
その人の素敵な部分を伸ばしたら、
短所も長所に代わるのではないでしょうか。
わたしの周囲の人は、まほを生かすことが上手でした。
出来ないことだらけなのに、怒らず、
できたことを、「すごいね」って誉めてくれましたから。
わたし=あなたではないこと。
それと自分が言われていたな言葉は使わない。
このことを多少意識したら、結構腹が立つこと減りました。
>成果主義に陥ると、
>結果だけを求めて、
>できない部分は取り繕って、
>そうして、責任は他に押しつけるということになります。
わかります。これが人間の心の弱さだと感じます。
人の失敗を笑わず、責めず、お互いがはげましあえる関係であるなら
人の弱さは強さに代わります。
職場の上司は、やはり、部下がなぜそうせざるを得なかったか…
気持ちをくみ取る懐がいるかもですね。
てっこうさんが、
>先日から、腹立って仕方ないんですけど、、、
>ちょっとは、クールダウンしないと~
>でも、そのときとか、その人にだけですけど。。。
>まぁ、相性もあるかもしれませんね。
>その分、自分がどうしてそうなるのかを
>考える良いときでもありますから。
そう思われることは素晴らしいと思います。
今までのわたしは、相手のことを考えられませんでしたから。
長々とコメントをし、申し訳ありません。
今日聞いた言葉ですが、好きにならなくても「嫌いにならない」という思い方、
いいなあと。。。
まほさん、
いつもありがとうございます。
まほさんの周囲の方々って、
その温かさを凄く感じますね。
離れていても、温かさは感じるものですから、
と唐突に。
でも、それって、
まほさんへの深い愛情なんですよね。
まほさんの書かれていることから
凄く伝わってきます。
わたしなんて、根っからそう(温かく)はなれませんので、
ちょっと、形から入ろうと、、、
誉めてみて、そうして、それを言葉にした途端、
綺麗な誤解をしてくださるときがあります。
これをどう捉えようか悩んだときがあります。
ほんとかな? 昔のことですけど~
感覚的に、綺麗だったら、誤解でもいいじゃないの~
最初、そう思っていました。
そうして、ぐるっ~と回って元のところに帰ってきました。
そう、そこから、考えたらいいんですね。
そうして、そこから、お互いの関係を良い方に築いていったいいんだと。
お互い、大事なことに気づいて、一歩歩めれば、それが一番です。
ちょっと、尾ひれを~ そうしてまた、
不思議なことに、わたしの心の中には
そんな温かさなんてどこにもないのに、
どこからか、温かいものが生まれているんですね。
温かさは、人ととして、一番大切なことなのでしょう。
おはようございます。
そうなんですよぅ。みなさん温かい方ばかりなんです。
だから、わたしも回を重ねるごとに元気になれたんだと思います。
病後11回目の春なんです。
この言葉が好きです。
>愛情というのは
>与えるものではなく、
>愛したいと感じる気持ちを、
>相手からもうらうこと。
>(まほろ駅前多田便利軒、三浦しをん)
まさに、わたしは愛したいという気持ちをいただいたんですね。
上手に言えませんが、この言葉がその通りだと思うんです。
まほを愛してくださった人に嫌われたくはないし、
もうこれ以上悲しい思いをしてほしくないんですね。
誤解もありましょう。
人は他人さまのことなど、ちっともわかっちゃいません。
親しいからと言って、わかったつもりでいるのは、傲慢ですよね。
すべてわかるはずはないし、人はだれもが触れてほしくない心があります。
親しいからと言って、人の台所に土足で入っちゃいけませんものね。
でも、こうやって、コミニケーションを取るというのは、
いいことですよね。ありがたいと思います。
そう思います。
人の冷え切った体をあっためるのに、
あったかいミルクやお茶をさしあげるように、
冷え切った人の心には、あったかい心がいると思います。
まほがそうやって元気をもらえたように。。。
あしあと帳②はここで終了とさせていただきます。
新たに③を作りましたので、
そちらへよろしくお願いします。
http://mahonoai.exblog.jp/10177325/
ときどき、陽が射してありがたいですね。
いい休日を。
おはようございます。本当によかったです。
人間って、言葉は本音を出せないこともあります。
とくに心配させたくない人には、「だいじょうぶ」と明るくいってしまいます。
笑顔も作れます。こころでは泣いていても。
だけど、おなかだけは正直。
安心させようと食べたくても、3口しかだめでした。
だから食欲があると言うのは元気な証拠。
食欲だけはごまかせないんです。
体調が悪かったら、ぜったい受け付けませんからね。
うんうん、わたしも日にち薬だと思います。
まずは食べて体力つけてもらわなきゃ。
お好きな物を作ってあげてね。
また「酵素」は人間に不可欠。
野菜を加熱すると酵素がなくなるので、生野菜、果物は必ず摂ってね。