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※まほ、再起に懸ける(1)
※まほ、再起に懸ける(2)
※まほ、再起に懸ける(3)
※まほ、再起に懸ける(4)


今日は12月5日、土曜日です。
お天気は曇りですが、暖かい朝です。

5日…今日もみなさんにとりまして、
佳きご縁のある日でありますように。

さて、先月から書いております「まほ、再起に懸ける」も
いよいよ今日が最終回になります。
最後までお付き合いいただければ、嬉しく思います。

わたしとパソコンの出逢いは、
退院した翌年、つまり2003年になります。

必死でパソコンをやろうと思ったのは、
「復職」したかったからです。
障害者として、車いす通勤に挑戦するなら、
今しかないと思いました。(だめもと覚悟)

チャレンジの許可を得ましたが、
会社側の復職許可は下りませんでした。

チャレンジすることを認めてくださった上司には、
心から感謝しています。
その節はありがとうございました。
このことはわたしの大きな自信となりました。
そうして、応援し支えてくださった先輩・後輩のみなさんに
心からお礼申し上げます。

あまりにも、わたしには、
ハンディキャップがありすぎました。
歩けないうえに、握力がない、
極めつけは
耳がほとんど聴こえないということでした。
耳が聴こえないというのは、
電話にも出られないということ。

今の新しいビルには、
障害者用のトイレも
障害者用のエレベーターもあります。
そこにないものは、
障害があっても働く人間の姿です。
将来、きっときっと障害者雇用が進み、
弱者にとりましても、いい世の中になると信じます。

復職チャレンジの疲れだと思っていたら、
再入院を余儀なくされました。
病気の記録(2003年)
再入院では内科的手術をし、
大量吐血のハプニングもあり、
入院が長引きました。(2003年6月~11月)

このとき、パソコンから離れていましたので、
文字の練習をしましたが、
パソコンは柔らかいタッチで、
サインペンを握るタッチと違い
以前のような文字を書くことは
かないませんでした。

そうして、月日は流れ、
2005年春から、友人の勧めで、
ブログをやることになりました。
このことが、のちにみなさんとの
多くの出逢いになろうとは、
夢にも思いませんでした。

自筆の文字が書けなくなっていたので、
もう頼りになるものは、
パソコンしか考えられませんでした。
耳もほとんど聴こえなくなっていましたので、
ドラマのあらすじを頭に入れ、
テレビを観ることが多くなりました。

また連絡には電話に代わり、
メールが大活躍でした。
外出できないわたしにとりまして、
社会から取り残されないためにも
大事な情報ツールとなったパソコンでした。

このように、パソコン利用は、
どんどん広がっていきました。
そのため、人差し指一本入力も、
かなりスピードアップできたように思います。

そうして、ブログライフは、
現在4年半になり、パソコンは
わたしになくてはならない「相棒」になりました。
出逢えましたみなさんに、心より感謝です。
これからも、仲良くしていただけたら幸せです。

2009.12.05 まほ




☆補 足☆
当初のハンドルネームは「未歩」
歩けないから「未歩・みほ」、
歩けるようになったら「万歩・まほ」に
改名しようと夢を持ってつけました。
つまり万歩計からきています。
10年たった今でも、自分で立てず、
歩行器を使いリハビリ通院中です。



人生が壊れれば壊れるほど
再生したときの喜びは大きいし、
普通のことを幸せと感じられる。

(中野利幸、日経エンタテイメント)


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by mahorou | 2009-12-05 07:17 | 再起に懸ける



今日は12月4日、金曜日です。
お天気は晴れ。少し寒いですが、昨年に比べたら
断然あたたかいです。
寒いと歩かないから、足の血流が悪くなり、むくみ、
歩行距離を縮めます。
言ってみれば、暑い夏にはそう言ったことがないのです。
プラスとマイナスとあり、
そこをいかにうまく、プラス要因を多くするかが…
まほの「こころ」次第なんですね。

泣いていても、笑っていても、
おんなじ一生なら、
できるだけ、笑っていたいですよね。
不満を言っても変わらないなら、
あたり前に感謝したいですよね。

さてさて、文字を書く練習から、
まほの意欲は増えていきました。
「パソコンなんてあてにするものか」と思っていたのに、
今じゃ、「パソコンさまさま」なわけです。

どうして、パソコンに手が伸びたか。

それは、自分の気持ちを書き表すのに、
ひらがなばかりでは限界があったこと。
そうして、手の震えがあると、文字が書けず、
返信がままならないことが大きな原因でした。

元気なころは文字を書くことは
苦痛ではありませんでしたが、
「筆まめ」とはほど遠い生活でした。
忙しくても、印刷文字は嫌で、
年賀状を徹夜で書いておりました。

自分の思い込みは大きくて、
パソコンなどの印刷文字に、
「手抜き」のような罪悪感があったのです。
忙しいことを言い訳にしているような・・・。

ところが上記のような理由で、
パソコンで手紙を書きだしますと、
書体の多さと、工夫次第で
手書き以上のものができると知りました。

ああ~、
わたしは、なんともったいないことをしていたのか、
ただしくパソコンのことも知らずに・・・
罪悪感を持っていたなんて。
こんなにも、自分を助けてくれる
優秀なものだったのかと、無知を恥じました。
パソコンへの信頼が大きくなった日でもありました。

では今日はこの辺で。
まほ、再起に懸ける(5)につづきます。
また、よろしくです。


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by mahorou | 2009-12-04 08:04 | 再起に懸ける



今日は12月2日、水曜日です。
お天気は晴れ、ちょっと寒いです。
あったり前ですね。なんと言ってももう12月ですから。

さてさて、先月末から、
まほ、再起に懸けると題して、文字を書くことを思い出し、
記事にしています。

今まで気づいていなかったんですが、
ある若いお医者さんの一言で、
「パソコンなんてあてにするもんか」と思い、
ひらがなを自分の手で書くことに火がついたわけです。

わらっちゃいません?
今のまほは「パソコンさまさま」なんですよね。
おもしろいものですね。
本当に感情とはこんな風に、
時間の経過と共にかわるんです。

わたしは「ただしい」と思っていたことが、
後で「まちがっていた」と感じることも、
少なくない年齢になりました。

さてさて、本題に戻しますと、
最初、小学生が使う国語ノートに
「あいうえお」を書きました。
よめるものじゃありません。
お世辞にもうまいと言えない文字。
その時思いました。
ちっちゃい子が、どんなにお母さんの顔を
可愛く描こうと必死であるかを。

あのいびつなまるの線に、
「大好きなママへ」という思いが込められていると。

私はまるさえ描けませんでした。
あんな簡単なことが・・・・ですよ。
幼児と一緒と思いました。

でも、この思いは
年齢だけ「おとな」である私の「傲慢」でもありました。

なぜなら、お世話になっている看護師さんの顔を
美人に描くねと言ったにも関わらず、
あの幼児が描く輪郭の線は私にはついに出せませんでした。

私は大変思いを込め、
看護師さんに喜んでもらおうと必死でした。
でも、わたしは、幼児にみえる行動しかできなくても、
一度世の中を知った「おとな」でした。。。

そんな思いを胸に文字の練習を毎日続けました。
リハビリと食事以外は文字ばかり書いていました。
多い時は8時間ぐらい練習しました。
ノートは5日もすればなくなりました。
ノートとサインペンは近くに「百均」があったので
調達してもらいました。

2ヶ月ぐらいで、
かなり小さいひらがなが書けるようになりました。
きったない文字なのに、
周囲の人は「すごい」「上手」と褒めるのです。
大人でも褒められれば、うれしくて、
「もっともっと上手になりたい」という意欲をくれました。

褒めて伸ばすことの大切さを思うと同時に、
握力「5」でも、文字は書けると証明できたことが、
大きな自信となりました。

振り返りますと、
この文字を書こうとするきっかけがなかったなら、
10年たった今でも、
寝たきりで無気力なまほだったに違いありません。。。


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そんなまほがパソコンを使うことを
決めた過程を次回振り返りますね。
明日は朝一で新型インフルエンザの予防接種と
リハビリですので、4日(金曜日)に、
まほ、再起に懸ける(4)の記事を書きますね。

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by mahorou | 2009-12-02 08:13 | 再起に懸ける



今日は11月28日、土曜日です。
お天気は快晴、ありがたい暖かさです。

28・・・無限大の可能性が二重の日です。
皆さまにとりましても、バッチリ佳き日となります。

お休みの方はごゆっくり。
お仕事の方は、ありがとうございます。お気をつけて。

さてさて、昨日のつづきですね。
まほ、再起に懸ける(1) こちらをクリック

文字を書く練習をしようと思いたったのは、
いつまでも泣いて、くさっていても、歩けるようにはならない。
家族はじめ周囲の人は、まほに「がんばれ」とはひと言も云わなかった。
いつまでもくさっているわたしに、
普通なら、もう過ぎたことをいつまでくよくよしているんだと
叱るでしょう?

でも誰も、ひと言も言わず、励ましの言葉をかけるでもなく、
ただただ、毎日病院に来てくれました。
朝と夜は夫、昼間は仕事で来られないから代わりに妹が。
そうして、身の回りのことをちゃんとし、
看護師さんに伝えたいことはちゃんと伝えて帰ってくれました。
毎日、必ず誰かが来てくれるというのが、
個室で、みんなから隔離された私の安らぎでした。

病後1年ぐらいでしょうか。
こんなままの私でいいのか。
いつまでも過去にグジグジしていて、
家族に申し訳ないと思いました。


小さい子は最初から文字なんて書けない。
ならば、わたしも3歳児になったつもりで、文字の練習をしようと決めました。
サインペンと大きなます目のノートを買ってもらい、練習を始めました。
2000年の晩秋の頃でした。

握力左手0・右手5では、かなり難しく、
鉛筆の持ち方では力が入りません。
そこで習字の筆を持つように2本指で支えて書きました。

ある日、若いお医者さんがきました。
パソコンでもしゃべれば文字に変換できるものがあるけれど、
まほさんはしゃべりが不鮮明だから使えんしねえ…と頭を掻いてみえました。

この言葉が、パソコンなどあてにしないぞ…という気持ちに火をつけました。
3歳児は小学校に入る前には自分の名前が書けるようになっている。
文字が書けなきゃいかんと思っていなくて、楽しんでいる。
わたしもやり続ければできる。
なぜなら、文字の形をちゃんと知っているからと必死でした。


12/1に続く。(29・30と所用にておやすみします)




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by mahorou | 2009-11-28 09:48 | 再起に懸ける



今日は11月27日、金曜日です。
お天気は曇りでしょうか。ちょっと暗いです。

金曜日…花金と言う言葉は死語かもしれませんが、
在職中は本当にうれしい日でした。
忙しさに心奪われていると、不足を思い、
感謝のない生活でしたが、病後一変。

時間を持て余すほど、暇になり、
考えずにおこうとしても、
起きている限り、脳は働くんですね。
あれほど、時間がもっと欲しいと思っていたのに、
24時間は長すぎて、長すぎて…。

悩み苦しむ中で、
今までの生活がどれほどありがたかったか。
他人のせいにして不足の思いでいたこと、
感謝のない生活を恥じ入りました。

人のせいにしていては、いつまでも悲しいままだと思いました。
そんな嘆きの人生は「ごめんだ」と思いました。
こう思えるようになるまで、長い長い時間がかかりました。

自分はどう生きたいのか。
体が不自由とかは問題じゃなくて、
どのような生き方がしたいかでした。

答えは迷わず、「しあわせに生きる」でした。
こう心が動くと同時に、
わたしに希望の光が見えてきました。
ゼロから、始めようと。

手はじめが文字を書くことでした。



明日に続きます。
思い出しながら綴っていきますね。
お付き合いくださればうれしいです。



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by mahorou | 2009-11-27 08:00 | 再起に懸ける