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カテゴリ:2010年のつぶやき( 404 )

2010年過去記事転載・コピー(長文)


朝7時からの「ボクらの時代」、
トイレに行きたくなったことで、見れました。
小沢昭一さん、前田武彦さんは81歳、
大橋巨泉さんは76歳なんですねえ。
時代の移り変わりというか、
早さにびっくり。

この言葉が特に心に残りました。
しあわせな時はテレビなんて見ないんだ。
家出していた息子が帰ってきたら、
よかったあって大喜び、
そんなときテレビ見ない・・・って。

そうだなぁ~としみじみ思いました。
わたしも退院したとき、
家族がそばにいてくれるだけで
うれしかったもん。
テレビが必要なときは、
心の淋しさや悲しみを
埋めてくれるものかもしれません。
自分の心が笑えるように、
元気づけるためや、
辛さを忘れようとしているのかも
しれません。

前田武彦さんがテレビが要らなくなったら、
それはみんながしあわせになったときと
おっしゃっていました。
そうですね。
しあわせだったら、
もっと人とのコミュニケーションが増え、
ハートとハートで付き合える人間同士の絆が
深まると思います。

また巨泉さんのお言葉も深かったです。
昔はテレビを遅くまで見ていたら、
親はそれを子に規制できた。
今の時代はテレビが各部屋にあって
規制できない。
携帯電話を夜取り上げ、
親が規制するように変わってきたと。
これも、なるほどと思った点。

つまり、現代はテレビを見ているよりも、
携帯電話のメール受信・送信する時間が
多いわけですね。
こう書いているわたしも、
テレビをつけたまま、
ブログ記事を打っています。
耳が聴こえないんだから、
画面を見なきゃわからんのに。

テレビを見る時間が、
パソコンに変わっている。
だれかに、つぶやいていたいんだなあと、
改めて思いました。

そうして、気をつけたいのは、
巨泉さんの、
メールって思っていること言えんもんだ・・・
という言葉。
たとえば、メールに
「ばかやろう~」なんて書かんと。
「元気でね。巨泉」で終わるって。
この辺は心しておいたほうが
いいかもしれない。

メールって「ありがとう」や「ごめんね」が
素直に言える面もあるけれど、
ある意味、客観視した文章も書ける。
つまり、気持ちと合致しないということを
頭に入れておくのも、
メールによるトラブルを
避ける気がしましたよぅ。

わたしがメールであっさり信じない言葉に、
「わたしはだいじょうぶ」がある。
「だいじょうぶ」はいまでもあっさり信じない。
だいじょうぶじゃない人、多く見てきたもん。
そうして、自分も入院中多用(フリ)した言葉だもん
無理せんでいいよぅ、がんばりやさんのあなたへ。



小沢昭一さん 2012.12.10 83歳ご逝去
前田武彦さん 2011.08.05 82歳ご逝去
大橋巨泉さん 2016.07.12 82歳ご逝去
みなさんでお会いになられていますね。合掌
今日も最後まで読んでくださって、
あなたの貴重なお時間をいただいて、
ありがとうございました。






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by mahorou | 2016-07-21 12:00 | 2010年のつぶやき

2010年過去記事転載・コピー(長文)
お時間があるとき、ご覧くださいね。


最近は、耳が痛い言葉によく出あいます。
それは同時に、わたしの過去への
反省が多いから、目につくんですね、きっと。

長年のうっぷんの原因を
深く考えてみると、
じつはただ一言、
「ごめんね」や、
「ありがとう」という言葉が
足りなかっただけなのではないでしょうか。
(13歳からのシンプルな生き方哲学、船井幸雄)


その通りかもしれないですね。
若いころは弱さを人に見せたくなくて、
強いふりをし、素直に「ごめんね」「ありがとう」を
言えずにいました。

病気になって・・・
本当に大事な言葉を知りました。

「ありがとう」と言って怒りだす人などいません。
まほが発する「ありがとう」で周りの人が、
一瞬でもしあわせな気持ちになれるのなら、
とっても素敵だと思いました。


お礼を言うとき
「すみません」

あやまるとき
「すみません」

「すみません」って
かんがえてみれば
都合よく使える
あいまいな言葉だよね

ワタシは・・・
心からの
お礼に
はっきりと
「ありがとう」と
いいたい

ワタシは・・・
心からの
反省に
はっきりと
「ごめんなさい」と
いいたい

「すみません」を
10回言うより
「ごめんなさい」を4回
「ありがとう」を6回

こんなふうに
「ありがとう」の数は
「ごめんなさい」の数より
多い生き方が
ワタシの理想


「あいまいな言葉」という詩を
書いたことを思い出し、探してみましたよ。

この詩の「すみません」という言葉について、
謝る時、お礼を言うときには、
「ごめんなさい」「ありがとう」の
言葉の方がいいという意味ですが、
わたしは声掛けに、
すみませんからよく入るそうです。

看護師さんを呼ぶとき、
すみませんxxさん・・・とか、
すみません、トイレをおねがいします・・・とか。

それで、看護師さんから、
「まほさん、すみませんはいらんからね」って。

じゃあ、人を呼ぶときどうするの?って聞いたら、
お~いとか、ちょっとアンタとかって。(わらい)
お年寄りは自然かもだけど、まほはちょっと・・・ね。

この「すみません」を言わない努力をしましたが、
無理無理。何度も言っちゃいました。

・・・だけど、だけど、
謝る時は「ごめんなさい」、
お礼を言うときは「ありがとう」と
ちゃんと気持ちよく言いたいですね。


今日も最後まで読んでくださって、
あなたの貴重なお時間をいただいて、
ありがとうございました。





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by mahorou | 2016-07-13 12:00 | 2010年のつぶやき

2010年過去記事転載・コピー


なにもかもを受け入れるのなら
傷はつかない。
自分に合わない事も。
自分が嫌いな事も。
自分が認められない事も。
反発せずに受け入れてしまえば
傷はつかない。

なにもかもをはねのけるのなら
傷つくしかない。
自分に合ってる事も。
自分が好きな事も。
自分が認められる事も。
同意せずにはねのけてしまえば
傷つくしかない。

(空の境界、奈須きのこ)


なんで、こうも・・・
みえる言葉に感動するんだろう。

たしかに「うらやましいな」と
感じるこころもある。
綺麗な人やスタイルがいい人を見れば、
「かっこいいなぁ」と思う。

「うらやましい」「かっこいい」という感情が
持続するなら、20代のころのまほと
かわらないでしょう。

でも、いまのまほは知ってしまったんだ。

人をうらやましがるより、
自分をほめる方が、
こころが喜んで楽しいって。
自分は何もできなくなってだめだと、
絶望した当時に戻りたくない、
いや、戻らないんだ、まほの心が。

歳を重ねられたからというより、
体験の多くが、まほのこころを
鍛えてくれたように思う。

誰だって、変われるんだ。
変えられないと言っているのは、
自分が変わることが怖くって、
変わることの「スタート」ボタンを
押せないだけだよ。

あなたが心から、そうしたいと思うなら、
あなたの手の上に、
まほの手を重ねましょう。
触れることができないのなら、
あなたの心に、
まほの心を重ねるよ、いつでも。。。


悲しみの特効薬なんてないんだよ
「慰め」という麻酔は
ホントのことを隠すだけ
つらいけど努力して
心のしくみや自分の言いわけを
理解することが
薬なんだよ
でもって「裸の自分」を
知るしかないんだ
(愛のシッタカブッタ、小泉吉宏)



今日も最後まで読んでくださって、
あなたの貴重なお時間をいただいて、
ありがとうございました。

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by mahorou | 2016-07-12 12:00 | 2010年のつぶやき | Comments(8)

2010年過去記事転載・コピー(後半)


話は変わり、先日調べ物をしていて、
わかったのですが、
仏教用語ってたくさんあるのですね。


根性・・・
これも仏教用語からきているそうです。
(日常生活における仏教語より引用)


『一般に「根」というのは、
生命活動の原動力としてもって生まれた気力などをさし、
根気、根負け、根くらべ、根をつめるなど、
植物の根と同じ意味から出た熟語が多い。
つまり、ある働きを起こす力をもったものをさす。


仏教では、仏の説く教えを受けようとする側の
能力や性質を「根性」と称した。
それが日本語では、とかく悪い意味を含んで使われ、
「根性悪」「盗人根性」「ひがみ根性」「根性まがり」など、
ろくな言い方をされていないのは、どうしてだろうか。


ともあれ、根性というものは、
たたいたり殴ったりしたぐらいで、
容易に直るものではない。
その人が、自らの意志によって力を改めないかぎり、
他人や外部の手ではゆるがせない。
それほど根強く、しっかりと身に深く具わったものである。』


なるほど。
自分の根性を直せるのは自分なんですね。
まほは病気になって、懸命に生きるということが
少しだけ、わかってきたような気がいたします。


今日という日を与えていただいて、
感謝しかありません。




今日も最後まで読んでくださって、
あなたの貴重なお時間をいただいて、
ありがとうございました。





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by mahorou | 2016-07-06 12:00 | 2010年のつぶやき | Trackback

2010年過去記事転載・コピー(前半)


まほは11年前の1999年(平成11年)11月1日に
大手術の結果、いのちが助かったのです。
なんと「1」が5個、ご利益がありました。


開腹したままですので、
その後は治療に耐えきれないと、
クスリで68日間眠らされました。


人工呼吸器装着の手術は、
わたしの体から菌が認められたため、
院内感染を防ぐため、手術室には行けず、
個室に手術器具を持ち込むという、
異例のことだったそうです。


(開腹)手術当日、立ち会った看護師さんは、
「お気の毒、もう時間の問題」と思ったほどの、
悪い状態だったそうです。


それだけに、わたしが車いすに乗り、
リハビリができるまでに快復したこと、
「涙が出るほどうれしい」と
抱きしめてくれました。


その看護師さんが
モデルになっている詩があるんですよ。
「ありがとう」の詩集の中でお気づきでしょうか?



それは、「くもりのちはれ」という詩です。
ここにでてくる看護師さんの言葉には
そういう思いが込められています。



補足
人工呼吸器といっても、気管切開しての
人工呼吸器は違うようです。
まほには詳しいことわかりませんが、
装着中は声が出せませんでした。
そのため、家族は唇を読むしかありません。
外した後、首中央に穴が残ります。
そうですね。おへその穴みたいです。
寝てお菓子を食べたら、カスが穴に入り、
ばれましたよ。(わらい)




今日も最後まで読んでくださって、
あなたの貴重なお時間をいただいて、
ありがとうございました。








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by mahorou | 2016-07-05 12:00 | 2010年のつぶやき | Trackback

2010年過去記事転載・コピー


まほは耳がほとんど聴こえないので、
字幕を読み理解します。
たったひとつ不便なのは、
漢字の名前などがどう読むのか、
またそのアクセントがわからないことです。
今はネットでかなり検索できますが、
わからないと、家族に聴くわけです。


たぶん、こう読むと思うって・・・いうんです。
「なんでなん、聴こえているんでしょ」・・・
そういいたいですよぅ。
こっちは音がないから、
どう発音するんか聴きたいですやん。


聴こえると言うのは、そういうものかもしれません。
まほもよく聴こえたときは、別に聴き逃しても、
また聴けばいいってありましたからね。


そう思いますと、
聴こえたり、見えたり、喋れたりしますと、
あったり前になれちゃうんだとわかります。


まほも歩けなくなって、足に感謝しました。
これからは、なくなってから「ありがとう」を
思うんじゃなくて、ある今を感謝したいですね。


最悪、目が見えなくなってもいいように、
大好きな青空の色をこころの目に焼き付けましたよぅ。
しゃべれなくなっても、ありがとうを言えるよう、
頭を下げる動作を体に覚えこませました。


今朝、きょんきょんが、
「アイドル」について語ってみえました。
もちろん字幕で理解したのですが、
その時代の人を支えている人で、必要だって。


まほもみなさんの「愛ドル」になれますかぁ?
(50代のおばさんはなれん・・・
  ごめんねぇ。耳が悪いんで聴こえませんわよ)


「忘れ去られた心」

日本は
ゆたかになったが
こころが
育ちにくいという
じっさい 
そのとおりかもしれない

あまりにも
恵まれた中で
毎日をすごしていると
感謝の思いも
どこかとおい国に
行ってしまうから


2002.01.18 



今日も最後まで読んでくださって、
あなたの貴重なお時間をいただいて、
ありがとうございました。






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by mahorou | 2016-07-04 12:00 | 2010年のつぶやき | Trackback | Comments(8)

2010年過去記事転載・コピー(長文)
お時間あるときにご覧ください。



わたしたちは弱いです。
弱いために、傷ついたりします。
弱いから人を傷つけているとは
感じません。
そうして、強くなれば、
人の言葉にも傷つかず
耐えていけると思いますよね。


そうですよね。
強くなりさえすればいいんだと。


・・・ちょっと待ってください。


強くなったら、
本当に傷つかないのでしょうか?
強くなったら、
やさしくなれるのでしょうか?


・・・う~ん、あっているような、
なんかおかしいような・・・。


まほの場合で検証してみますね。


まほは強くなる必要は
ないと思っていて、
弱くてもいいと考えているんです。
なぜなら、強くなったら、
弱い人のきもちになれないからです。
悲しみや苦しみ、痛みに鈍感になります。


まほは自分のありのままを
肯定する生き方が、
生きやすいと知りました。
出来ない自分を「駄目な奴」と
思っていたときは、
とても苦しかったです。
なにしろ、心が思うことを
「否定」ばかりしていたんですからね。


わたしはしあわせに生きたいと思いました。
わたしがしあわせならば、
家族もしあわせだと思いました。


わたしがしあわせと思うためには、
自分の心を受け止め、「うんうん」と
黙って気持ちを聴いてあげることでした。


がんばらなきゃとか、
怒っちゃいけないとか、
泣いちゃいけないとか、
言わず、心の赴くまま自然体でした。


わたしはまほに
やさしく接し続けました。
病気から10年。
そうして気づきました。
自分にやさしくすると、
人さまにも自然とやさしくなっていると。


またそんなまほを、人さまは
「強い人」と言ってくださるようになりました。
わたしは決して強くはありません。
弱くて、できないことだらけです。
だからこそ、自分も人さまも許せるのだと
感じます。


そんな風に見てきますと、
自分にやさしくできたら、
人さまにもやさしくできる。
人さまにやさしくできる人を、
人々は「強い人」と感じるのでは・・・
と、まほは思うんです。


しあわせだから感謝するのではなく、
感謝するからしあわせになれる
という言葉のように、
強くなったらやさしくなれる・・・
のではなく、
やさしい人は強い人と感じてもらえる
・・・そんな気がします。


強さと、やさしさは、
表と裏のようでもあり、
両方を補い合うものかもしれませんね。


強さ100パーセントでは、
傲慢すぎますし、
やさしさ100パーセントでは
謙虚すぎて、いざというとき
チャレンジできないような・・・。


きっと、人それぞれに、
やさしさと強さの
比率があると思うんです。
その地点を見つけたら、
きっと豊かな生き方ができると
まほは信じていますよぅ。



今日も最後まで読んでくださって、
あなたの貴重なお時間をいただいて、
ありがとうございました。





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by mahorou | 2016-06-30 12:00 | 2010年のつぶやき | Trackback | Comments(5)

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今日は先生の都合で、リハビリが朝からでした。
毎月送迎スケジュールは
紙で出していますが、
変更があったときは、
ヘルパーさんに口頭連絡しています。


いつもはお昼ですが、今日は変更していました。
けれど、ヘルパーさんは来られません。
たぶん、訂正が伝わっていないか、
忘れられているかだと思い、
妹に電話してもらいました。


直感通りでした。
妹がわたしに様子を伝えます。
どうも、先方は怒った口調(だった)らしく
「怒りたいのはこっちの方」と言いました。
わたしは思わず笑ってしまいましたが、
妹のきもちもよくわかるんですよぅ。


人間って、こういう場面の対応で、
その人の想いが、まほにはわかるので、
相手のこころも、妹のきもちも、
読み取れちゃうんです。


50代って、こんなに人のきもちが読めるのか?
まほって、怖いおばさんだ・・・などと
恐れないでください。


わたしは大病し、ひどく傷ついたり、
悔しかった言葉をたくさん知ったんです。
そうして、これらの言葉は
人さまに言ってはならないと決意したんです。


もし、まほが人さまに害を及ばす言葉を
使ったなら、まほは性格まで悪い人間になり、
しあわせにはなれないと知っています。


反面、すっごく励まされた言葉もたくさんあります。
まほはそうした言葉をみなさんにお返ししていきます。


今のまほは、人を簡単に怒らせたり、
傷つけたりする「有毒ガス」的な言葉を知っていますが、
それらを使うことは誓ってありません。


人を傷つけるということは、
自分の心臓にナイフを刺すことと同じです。
まほは自分の命が大事です。
同様に、人さまの命も大事です。


だって、神さまはこんな至らない「まほ」を
許してくれて、この世においてくださっているんですよぅ。
神さまに許してもらえた「まほ」が、
人さまを許せなくてどうしましょう。


今はまだ許せないこと、もちろんありますよぅ。
決して出来た人間じゃないですからねぇ。
腹たちゃ怒るし、悲しけりゃ泣きますからね。
自分の感情を抑えつけたくないんですね。
ありのままの感情を受け入れていたら、
結構、冷静になったとき、
自分って「浅はかだなぁ」と笑えますよ。


「雨降って地固まる」とか
「雨が降らなきゃ虹は見られない」とか、
いい言葉がありますよね。


環境が作るのは、姿や形(外見)ですが、
環境が育てるのは、人間のこころ(中身)です。
外見はべっぴんさんでなくても、
性格だけは「こころ美人」を目指したいですよぅ。
だって、性格が悪かったら、家族は面倒見れん・・・
っていいますでしょ。。。



その人がその人でしかあり得ないように、
その人の「学び」はその人だけのものだし、
そのずっと先にある終焉もまた、
その人のものでしかあり得ない。
(私たちには物語がある、角田光代)




今日も最後まで読んでくださって、
あなたの貴重なお時間をいただいて、
ありがとうございました。



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by mahorou | 2016-06-29 12:00 | 2010年のつぶやき | Trackback | Comments(0)

2010年過去記事転載・コピー


健康な時は、立つことなんて、
なにも考えずに出来ましたが、
今では立つという感覚が鈍く、
立つ練習で、足をベルトで
固定するのですが、
ひとりで机に手を置き、
立った状態をキープすることさえ、
恐怖です。


寝てばかりいた入院時代は、
ベッドに固定された体を、
べっドのまま90度あげ、
起立練習をしましたが、
恐怖心で歯を食いしばっていても、
涙があふれたものです。


その涙目で見た光景・・・。
50代ぐらいの男性の死に物狂いの
リハビリの様子でした。
家族の大黒柱として、1日も早く
社会復帰との思いでしたでしょうね。


勇気だとか正しさだとかが満ちるのを待つんじゃなく、
「知りあいがやってることを見る」だけで、
すっとなにかがわかっていくものです。
(ほぼ日、糸井重里)


その光景が、まほにも
がんばる勇気をくださいました。
涙を必死にこらえるために、
心の中で歌った歌は、
「およげたいやきくん」でした。


みなさんは、涙をこらえるときに、
口ずさむ歌は何でしょうか?




今日も最後まで読んでくださって、
あなたの貴重なお時間をいただいて、
ありがとうございました。











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by mahorou | 2016-06-28 12:00 | 2010年のつぶやき

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お時間あるときにお読みください。



今日は、苦しい生き方について
書いてみようと思います。
苦しいという感情を長く体験したのですが、
みなさんに分かりやすい文章が書けるか・・・
自信はないのですが、
自信ができるまで、書かずにいたら、
気持ちを忘れそうで・・・。思い切りますねぇ。


まず、自分のことを「だめな奴」と
否定ばかりしていたときは、
もう苦しかったですね。
がんばらないとアカンとは思っているんですよぅ。
いい大人ですからね。
でもその気力がわかんのです。
そんな自分に対し、もうひとりのまほが、
厳しく「駄目だ駄目だ」とお尻を叩きます。
逃げ場がなく、追い詰められ、
苦しくてたまりません。


病後一年ぐらいでしょうか。
悶々としたベッドでの生活。
5階の窓から見える空が友達でした。
ぼぉーっと眺めている時間が安らぎでもありました。


人間は起きていれば、何かを想い、感情はわきます。
いそがしければ、考える暇などありませんが、
ほぼ一日中ベッドですと、
考えたくなくても考えてしまいます。


病気になったこと・・・
こころの準備がなにひとつできていませんでした。
だれでも病気になったり、死は訪れるものなのに、
まるでそれはテレビドラマの世界と思っていました。


現実問題じゃなかったんです。
超健康体で、病院とは縁もありませんでしたし、
わたしが病気になる、それも命の危険があったなんて、
受け入れられませんでした。
受け入れられないんじゃなくて、そういう現実を
「受け入れたくなかった」んです。


信じたくなかったんです。
強がって笑っていたけれど、こころは裏腹で、
夢であってほしかったんです。


まあ、いい年をして・・・いつまでも情けないわけです。
こころの扉に鍵をかけ、未来に飛び出そうとしない、
意欲のない、体はあるけれど、こころの深い部分では
死んでいたんです。


今思いますのは、自分を否定すればするほど、
苦しくなるんだとわかりました。
良い悪いのジャッジはしたらだめだと思いました。
だって、仕方がないでしょう?
自分がそう思うんですから。


人を恨んでしまう感情もあるでしょう。
それをそう思っちゃいけないと、
もうひとりの自分が責めるから、
罪悪感に苦しめられるんです。


いいじゃないですか。
今はうらむ感情があったとしても、
「うんうん」って聴いてあげてくださいな。
あなたのこころは
そうすると安心するんですからね。



今日も最後まで読んでくださって、
あなたの貴重なお時間をいただいて、
ありがとうございました。








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by mahorou | 2016-06-27 12:00 | 2010年のつぶやき