「ほっ」と。キャンペーン

昨日は血液検査の結果が散々だったけれど、
す~ごく異常数値だったわけでも、新たな病気発見でもない。
ただ、ものすごくがんばったのに結果がついてこないと凹むものですね。
また今日からスタートだ。「よく頑張ったね」と自分をほめ、
気持ちを切り替えました。おいしく食べられればいいじゃないって。。。
生きられることだけでありがたいのに、欲張りなあたしに笑える。


「花を持って、会いにゆく」 / 長田 弘

春の日、あなたに会いにゆく。
あなたは、なくなった人である。
どこにもいない人である。

どこにもいない人に会いにゆく。
きれいな水と、
きれいな花を、手に持って。

どこにもいない?
違うと、なくなった人は言う。
どこにもいないのではない。

どこにもゆかないのだ。
いつも、ここにいる。
歩くことは、しなくなった。

歩くことをやめて、
はじめて知ったことがある。
歩くことは、ここではないどこかへ、

遠いどこかへ、遠くへ、遠くへ、
どんどんゆくことだと、そう思っていた。
そうでないということに気づいたのは、

死んでからだった。もう、
どこにもゆかないし、
どんな遠くへもゆくことはない。

そうと知ったときに、
じぶんの、いま、いる、
ここが、じぶんのゆきついた、

いちばん遠い場所であることに気づいた。
この世から一番遠い場所が、
ほんとうは、この世に

いちばん近い場所だということに。
生きるとは、年をとるということだ。
死んだら、年をとらないのだ。

十歳で死んだ
人生の最初の友人は、
いまでも十歳のままだ。

病に苦しんで
なくなった母は、
死んで、また元気になった。

死ではなく、その人が
じぶんのなかにのこしていった
たしかな記憶を、わたしは信じる。

ことばって、何だと思う?
けっしてことばにできない思いが、
ここにあると指すのが、ことばだ。

話すこともなかった人とだって、
語らうことができると知ったのも、
死んでからだった。

春の木々の
枝々が競いあって、
霞む空をつかもうとしている。

春の日、あなたに会いにゆく。
きれいな水と、
きれいな花を、手に持って。


生きていく私たちの前に、いつも立ち塞がるものは何ですか?
悩みや問題ですよ。そればかりです。
悩みを抱えて、その答えなんてどこにもないことにげんなりしながら、
日々を生きている。そんなものです。
(ジャイロスコープ、伊坂幸太郎)



7/16・17日お誕生日の方、おめでとうございます。
みなさん、佳き週末を。元気にまた来週お会いしましょう。。。
今日も最後まで読んでくださって、
あなたの貴重なお時間をいただいて、
ありがとうございました。



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by mahorou | 2016-07-15 12:00 | ★長田弘さんの詩など

★追 記★
今日は、腎臓結石の受診日でした。
これで退院後3回目の病院行きです。
尿検査とレントゲンがありました。
結果はおしっこもきれいで
腎臓結石の位置と大きさ変わりませんでした。
半年の間、大きさも新たな石もできていませんでした。
いかに水分摂取が大事かわかりました。
大きな石など最初からできません。
小さいものならおしっこと一緒に出ていくわけです。
気になっていた石の大きさを確認したら、
先生はパソコン画面のレントゲン写真に定規を当て測り始め、
縦18ミリ、横13ミリの大きさとおっしゃいました。
今ってすごいんですね。
実物大の大きさがそのまま測れるんですから。
この調子で水分とってくださいとのこと。
次回は3か月後の7月はじめです。
漢方薬・猪苓湯(チョレイトウ)顆粒状を食前飲み続け、
しっかり水分摂りますね。
ご心配いただきありがとうございました。


長田弘さん2015.05.03ご逝去・毎日新聞 合掌

日常愛とは、
生活様式への愛着です。
戦争や災害の後、
人は失われた日常に
気づきます。
平和とは、
日常を
取り戻すことです。


長田さんが残された時間と力を注いで書き下ろした
「全詩集」巻末の「場所と記憶」に、こうある。
<パトリオティズムというじぶんにとっての詩の変わらぬ主題……。
パトリオティズムとは「日常愛」のことだ。
「愛国心」とする日本語は当たらない。……
パトリオティズムは宏量(こうりょう)だが、ナショナリズムは狭量だ。>

「日常愛」とは何か。
「それが生活様式への愛着です。大切な日常を崩壊させた戦争や災害の後、
人は失われた日常に気づきます。平和とは、日常を取り戻すことです」。

「全詩集」には、日本軍兵士の陣中日記を引いた詩も収められている。
<「……/焼のり、焼塩、舐(な)め味噌(みそ)、辛子(からし)漬、
鯛(たい)でんぶ、牛肉大和煮/……」/戦争にいった男の遺(のこ)した、
戦争がくれなかったもののリスト。>


「戦争はこうして、私たちの生活様式を裏切っていきました。
こういう確固とした日常への愛着を、まだずっと書き続けたかった。
戦後70年の今、失われようとしているものがいかに大切かということを……」




誰かが、まほを呼んでくれている気がします。
コメント欄、まほのみ読み、非公開とさせていただきますが、
承諾いただける方は書いていってください。
いただいたコメントはまほだけが大切に読ませていただきます。。。
最後まで読んでくださってありがとうございました


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by mahorou | 2016-04-06 16:30 | ★長田弘さんの詩など | Trackback | Comments(2)

「世界はうつくしいと」/ 長田弘

うつくしいものの話しをしよう。
いつからだろう。ふと気がつくと、
うつくしいということばを、ためらわず
口にすることを、誰もしなくなった。
そしてわたしたちの会話は貧しくなった。
うつくしいものをうつくしいと言おう。

風の匂いはうつくしいと。渓谷の
石を伝わってゆく流れはうつくしいと。
午後の草に落ちている雲の影はうつくしいと。
遠くの低い山並みの静けさはうつくしいと。
きらめく川辺の光はうつくしいと。
おおきな樹のある街の通りはうつくしいと。
行き交いの、なにげない挨拶はうつくしいと。
花々があって、奥行きのある路地はうつくしいと。
雨の日の、家々の屋根の色はうつくしいと。
太い枝を空いっぱいにひろげる
晩秋の古寺の、大銀杏はうつくしいと。
冬がくるまえの、曇りの日の、
南天の、小さな朱い実はうつくしいと。
コムラサキの、実のむらさきはうつくしいと。
過ぎてゆく季節はうつくしいと。
さらりと老いてゆく人の姿はうつくしいと。

一体、ニュースとよばれる日々の破片が、
わたしたちの歴史と言うようなものだろうか。
あざやかな毎日こそ、わたしたちの価値だ。
うつくしいものをうつくしいと言おう。
幼い猫とあそぶ一刻はうつくしいと。
シュロの枝を燃やして、灰にして、撒く。
何一つ永遠なんてなく、いつか
すべて塵にかえるのだから、世界はうつくしいと。


「あなたの心はうつくしい」、ありがとう。。。まほ&まほっち

人生で大事なのは
「何を得たか」ではなく、
「どのように求めたか」
ということではないかと、
僕は思うのです。
(「これだけは、村上さんに言っておこう」、村上春樹)

私たちは
理解できないものごとを
受け入れようとするときに、
無自覚に物語を作っていることに
気づかされた。
理解できない他者を
受け入れようとするときも、
物語のなかで理解しようとする。
ところがそのように理解した他者は、
他者なりの物語を作っているわけで、
その二つが噛み合うとはかぎらない。
他者の物語は
他者以上に理解不能の場合もある。
そしてまた、私たちは
自分と等身大の物語しか、
作ることができないということにも、
気づかされた。
(世界は終わりそうにない、角田光代)


4/2・3日、お誕生日の方おめでとうございます。
また来週月曜日に元気にお会いしましょう。佳い週末を。。。
まほの都合により、金曜日の12時の記事のみ、コメント欄あけさせてもらいます。
めんどくさい奴ですが、お付き合いくださればうれしいです。
最後まで読んでくださってありがとうございました



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by mahorou | 2016-04-01 12:00 | ★長田弘さんの詩など | Trackback | Comments(14)

「花を持って、会いにゆく」 / 長田 弘


春の日、あなたに会いにゆく。
あなたは、なくなった人である。
どこにもいない人である。

どこにもいない人に会いにゆく。
きれいな水と、
きれいな花を、手に持って。

どこにもいない?
違うと、なくなった人は言う。
どこにもいないのではない。

どこにもゆかないのだ。
いつも、ここにいる。
歩くことは、しなくなった。

歩くことをやめて、
はじめて知ったことがある。
歩くことは、ここではないどこかへ、

遠いどこかへ、遠くへ、遠くへ、
どんどんゆくことだと、そう思っていた。
そうでないということに気づいたのは、

死んでからだった。もう、
どこにもゆかないし、
どんな遠くへもゆくことはない。

そうと知ったときに、
じぶんの、いま、いる、
ここが、じぶんのゆきついた、

いちばん遠い場所であることに気づいた。
この世から一番遠い場所が、
ほんとうは、この世に

いちばん近い場所だということに。
生きるとは、年をとるということだ。
死んだら、年をとらないのだ。

十歳で死んだ
人生の最初の友人は、
いまでも十歳のままだ。

病に苦しんで
なくなった母は、
死んで、また元気になった。

死ではなく、その人が
じぶんのなかにのこしていった
たしかな記憶を、わたしは信じる。

ことばって、何だと思う?
けっしてことばにできない思いが、
ここにあると指すのが、ことばだ。

話すこともなかった人とだって、
語らうことができると知ったのも、
死んでからだった。

春の木々の
枝々が競いあって、
霞む空をつかもうとしている。

春の日、あなたに会いにゆく。
きれいな水と、
きれいな花を、手に持って。


※ 上記詩はねっとで検索したもので、手元に本がありません。
  ことばが違うと気づかれた方は、教えてください。
  ただいま、コメント欄閉じていますので、あしあと帳 に連絡ください。


手紙を出すねといったのに、書いていない。
できない約束はしないと決めているのに破ってる。
なぜしないのか…答えはわかってる。
あなたの気分をさらに重くするようで書けない。
いま、あなたの心を軽くする「ことば」を
哀しいかな、まほは持ちあわせていない。
あなたがまほの幸せを祈ってくださっているように、
あなたの悲しみが和らぎますようにと、いつも祈ってる。。。まほ


生きていく私たちの前に、いつも立ち塞がるものは何ですか?
悩みや問題ですよ。そればかりです。
悩みを抱えて、その答えなんてどこにもないことにげんなりしながら、
日々を生きている。そんなものです。
(ジャイロスコープ、伊坂幸太郎)

悩みがあること≠不幸 健康≠元気があること
このふたつを頭に入れておけば、少しは楽しめるとわかった。
歳を重ねると、人生の問題集も「上級編」になってくるらしい。
上級編の問題集のページをめくれるまで生きてこられた証拠でもある。
人生の先輩が答えは、自分の心にあるといった。
そうであれば、考え悩むのも悪くない気がしてくる。
そんな時間がある今を「ふこう」と呼んだら、
「しあわせ」さんがすねるかも。。。
今日の「まほっち」は、なんとおりこうでしょうか。(わらい)



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by mahorou | 2016-03-24 12:00 | ★長田弘さんの詩など | Trackback

今日はリハビリなので、予約投稿です。
図書館で借りて、いま読んでいる本・・・
「読書からはじまる」長田弘さんの文章、
まほが考えている「ことば」について抜粋してみます。
いろいろ書きたいのですが、著作権に触れますので、残念です。


言葉のゆたかさとは、
どういう自分であるかを語ることができる、
みなおなじなかでお互いがどういう人間であるか、
お互いどういうふうに違っているかを
すすんで語ることができる、
そういうゆたかさにほかなりません。
日常に普通にある言葉を、どのように使うか。
言葉は、それがすべてだからです。


言葉というのは、言葉の使い方の問題です。
自分がどういう言葉をどう使うか、
その言葉のなかに自分をどう表してゆくか、
それができるか、できないかが、これからは社会の
いちばん重要な錘(おもり)となってゆくように
なるのではないかと思うのです。


こうも書いてあったのです。
「言葉で自分をどうゆたかにできるか、ではなく
  自分は言葉をどうゆたかにできるか、なのです。」
「本を読むことが読書ではありません。自分の心のなかに
  失いたくない言葉の蓄え場所を作り出すのが、読書です。」



まほの「ありがとう」の詩集を手掛けてくださった、
詩人の宮尾節子さんの あとがき(クリック) にある
「体の動かない彼女は、その希望への魔法の杖として
  ──言葉を見出したのだ。」
というおことばにありがたさが一層つのりました。



長田さんは、人間は言葉のなかに生まれ、
言葉のなかて育てられていくと書いておられます。
そうであれば、奇跡的に命が助かり、
言葉のなかに生かされたんだと、そうして育てられ、
いまこそ、まほが「言葉をゆたかにする」
ご恩返しの時にほかなりません。




※ 長田弘さんは昨年2015.05.03,75歳でご逝去されました。合掌。



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by mahorou | 2016-03-22 12:00 | ★長田弘さんの詩など | Trackback