未歩(みほ)とはいまだ歩けずの前の「つぶやき」
ブログのハンドルネーム。
万歩(まほ)は歩けるようになったら改名しようと、
夢を持ってつけた入院当初のペンネームです。


健康なときは自分が小心者だとは思っていなかった。
それが、大病し発覚。


看護婦さんが車椅子で散歩(5F~1F)に連れて行ってくれる。
忙しい看護婦さんが手ぶらのはずがない。
患者さんの薬をとりに行く仕事があり、
未歩の散歩もし、一石二鳥なんです。

以下は看護婦さんとの会話。

★ 「未歩さん、ちょっとここで待っていてね。お薬もらってくるから」
〇 「は~い。早く戻ってきてね」
★ 「うん、わかった」 薬を取りに部屋へ入って行く。

1分・・・2分・・・3分経過。不安で我慢が出来ず
待っておられない精神状態。待合室には人もいる。
シカシ、私が取った行動は・・・。
 
〇「○○さ~ん、早く帰ってきて~」 大声でわめく。
驚いた看護婦さん、あわてて私の傍へ戻る。
★「ごめんね、未歩さん。待たせちゃって」

実際、30分も待たされたわけでもなく、
ほんの5分ぐらいだった筈。
私は看護婦さんの顔を見て安心したのでした。


なんていうのでしょうか?独りぼっちにされる恐怖心から、
大人なのに羞恥心もない行動をとっていたのでした。
まるっと幼児の精神状態の未歩でした。
手術から一年、まだまだ精神状態が不安定な私でした。
今思うと、「馬鹿じゃない」と思えるのですが、
そういう精神状態だったということを、ここに書き残したい。
未歩45歳、看護婦さんは25歳ぐらいの方。

(記憶をたどりながら・・・2000年の冬ごろ)




誰かが、まほを呼んでくれている気がします。
コメント欄、まほのみ読み、非公開とさせていただきますが、
承諾いただける方は書いていってください。
いただいたコメントはまほだけが大切に読ませていただきます。。。
最後まで読んでくださってありがとうございました





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by mahorou | 2016-04-04 17:51 | まほへの質問 | Trackback | Comments(3)

※追記
みなさん、この記事のこと、ちゃんと受け止めてくださり感謝です。
ただいま、明日のひなまつり開催の準備も終盤に入ってまいりました。
ご協力ありがとうございます。
要領が悪いのですが精いっぱいできることをさせていただきます。
期待を持たせてがっかりさせないように願っています。
夕食を済ませたら、もうひと踏ん張りします。

ちょっと長文です。
お時間あるときに読んでください。


子どもたちには少しずつでも
「もしも」ということを
考えてもらいたい。
もしも、あの思慮深げで魅力に満ちた
オランウータンが絶滅したら。
ゾウが、サイが、イヌワシが、
写真や映像でしか見られないとしたら。
もしも、どんな小川にも
メダカが見られなくなったら、と。
それらは決して、勝手に数が減って
消えるわけではないことを、その
いのちを目の前にして考えることは、
どれほど重要なことだろうか。そして、
自分たちにも同様のいのちがあり、
その一つ一つが
かけがえのないものであることに、
是非とも気づいてもらいたい。
(いのちの王国、乃南アサ)



わたしは今まで丈夫で、
風邪をひくこともあまりなく、
ただただ忙しい生活をしていました。
からだが弱ければ、自分のからだを労り、
徹夜とかはしないのでしょうが、
わたしの場合、眠らなくても大丈夫のからだでした。

退職したら「書の道」(教わる側)と疑っていなかったので、
展覧会前は、家族が寝た11時過ぎから、
狭い部屋で条幅を書くわけでした。
それも書きあげたものを部屋に貼り、
お手本と見比べ、手直しをする方法で、
あっという間に1・2時間は経ってしまいます。

人間の脳は午前さまを過ぎたら、
眠ることが難しくなるものですね。
アタマが逆にさえます。
当然、がんばっちゃうわけです。
からだが悲鳴を上げないかぎり、
わたしのように頑丈者は
やめることができませんでした。

何にでも取扱説明書があります。
横着に扱えば壊れて当然ですよね。

でも、恥ずかしながら、大病するまで、
自分が病気になるなど、
ましてや、死の危険がある病気になるとは
夢にも思いませんでした。

前兆はあったのです。
すごい痛みと吐き気があったのですが、
単なる疲れによる腹痛と勘違いしていたわたしは
日曜日に正露丸を飲んで寝ていました。
そのおかげで腹痛も治まり
翌日には普段通り、仕事に行けました。

ここが落とし穴でした。
痛みも疲れと思っていたことと、
痛みが連続しなかったこと。
それに加え、胆石という病気を軽くみすぎていました。
胆石は中年女性の3人に1人は持っている病気、
盲腸的意識でいました。
あまりにもあまりにも無知でした。

わたしのお腹は胆石の「石」が胆管に落ち、
そのため、胆管はふさがれ、
膵臓(すいぞう)からの膵液が逆流し、
おなかの中は泥水状態で、
膵臓はほとんど壊死(えし)していたそうです。
胆石から急性膵炎を発症すると
短時間に死亡することもあるようです。

開腹手術の結果、
重症性壊死性急性膵炎(難病指定)と
病名がつきました。現在は難病指定解除。

2年半の入院で難病は克服できました。
後遺症として、握力を失い(家事全般ができず)、
また足の筋肉を失ったため、
歩けず車椅子で、リハビリ(17年目)を
続けている現状です。
いのちを助けるためのありとあらゆる薬の
副作用か、聴力を徐々に失いました。


障害は不自由ではありますが、
今では全く気になりません。
それは多分、私の心の中に
いのちを助けていただいた感謝の思いが、
障害を持ったことよりもつよいこと、
健康だった昔に戻りたいという思いが、
さらさらないからだと思います。
これは、無理しているわけでも
強気な発言でもありません。

確かに、失ったものは多いです。
でも、それ以上に得たものが多いんですね。
・・・体験した者の醍醐味・・・とでも
いいましょうか。そんな感じです。

わたしは過去を引きずっての
嘆きの人生はイヤなんです。
しあわせと思える生き方がしたい。。。
ただただ、それだけを願っているんですね。

そんなことから、
みなさんに伝えたい思いがあります。
痛みを軽く見たらいけません。また、
持続しなかったからといって、
安心するのは危険です。
胆石でも、痛みがあるということは、
内臓が炎症を起こしているということで、
ちゃんと医師に診てもらう必要があります。

わたしは体験上、
家族の体調管理をしっかりするようになりました。
たまたま、いま自分の家族が発症していないだけで、
人さまは病と闘っておられる…
人さまの病気も自分の家族のように受け止めています。

誰でも病気になる可能性はありますし、
突然の不幸に見舞われることもある・・・
そう意識し、元気な時に、
人さまの悲しみを考えています。
もし、自分や自分の家族だったら・・・と、
人ごとで片づけなくなりました。
自分に限っては・・・と思っていたら、
突然の不幸にパニックになります。
そんなときに、前向きに考えられるはずがありません。
でも、普段から心の準備がしてあったら・・・
ずいぶんと違うのでは・・・と思うのです。

まほの体験から、何かを感じていただけたら、
まほの病気は生きてきます。
重い記事になったかも・・・しれません。
でも、元気なうちに、元気なみなさんに
知っておいてほしかったのです。
長い文章を読んでくださって、ありがとうございました。
感謝いたします。





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by mahorou | 2016-03-02 12:00 | まほへの質問 | Trackback | Comments(12)

「まほんち」に来てくださってありがとうございます。

「おいでよ」

おいでよ おいでよ まほんちに
おいでよ おいでよ まほんちに

きてくれて きてくれて ありがとう
きてくれて きてくれて ありがとう

いただきます いってくれて
ごちそうさま いわせてくれて

うれしいわ うれしいわ うれしいわ
ありがとう ありがとう ありがとう


2015.11.01 


歳を重ねた近頃のまほは、
まず一番に自分のこころを励ましたいのでしょう。
心の中にはご恩を返したいというのは強くありますが、
人さまのためと気張ってブログ記事を書いていないんですよ。

そういう傲慢さ(うぬぼれ)があったら、
前のブログから10年も続けられないでしょう。。。
ネタ切れになります。
でも自分が楽しいことをしてるんでしょうね。
自分が救われているんですね。
人さまが音楽を聴いたり、絵を描いたり、
写真を撮ったり、漫画を読んだり、
それと同じように、
まほもいやなことはしていないんでしょうね。

つらいことがあっても、
好きなことやっているんだと思いますし、
好きとか嫌いとかなくても、生きたいから、
息を吸ったり吐いたり、食べたり、排尿・排便したり、
自分の身を無意識に守っている。
悲しいこともあるけれど、うれしいこともあり、
愛する人たちと生きていたいから。
まだ旅立つわけにいかないから。。。

苦はない方がいいと思うけれど、どうなんでしょう。
人間が心賢く、人を思いやれるのは、
苦しみ、悲しみを知った人が、
人さまの気持ちを想像できるからのような気がします。

苦しみがあるから、ブログを書き自分を奮い立たせ、
それを読んだ人が共感くださるところに、
喜びがあり、幸せをいただいているような。。。



道なんてもんはな、どっかに行くためにあるんだよ。
ちゃんと目的地に通じているかどうか、
歩けるかどうかというところこそが問題なのであって、
歩き易いかどうかなんてことは関係ないだろ。
(ヒトでなし 金剛界の章、京極夏彦)

考えたってどうにもならない。
どうにかしようとしたって、
思い通りになるものじゃないさ。
ひとつだけ確実なのはな、
結局はなるようにしかならないってことだけだよ。
(ヒトでなし 金剛界の章、京極夏彦)


コメント欄に過去記事コピーしています。
お時間ある方はみてくださいね。
コメント不要ブログですが、つらいことあったら書き込んでください。
まほにも、せめて一緒に考えさせてください。。。


最後まで読んでくださってありがとうございました
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by mahorou | 2016-01-25 12:00 | まほへの質問 | Trackback | Comments(16)

umemomoさんが想像した「まほっち」イラスト。
(まほっちは、まほさんのチャイルドアヴァターです。
 よく泣き、よく笑い(*´∀`)♪、よく怒り、よく拗ねます。)
想像の翼を広げてみなさんもイメージしてくださいね。


a0125751_1753371.jpg


「100年後に」

あなたが
いま
まほと出会ったら
驚かれるでしょう
びっくりするでしょう

だから
心が賢くなりたいの
そうしたら
100年後
自信を持って
あなたと会えるから


2008.1


人生はあきらめては
ならないのです。
破れた靴は捨てるしかありません。
でも人は必ず新しい靴をはいて、
地をしっかりとふみしめて
いかなければなりません。
はだしでは歩けないのです。
どんな靴も、やがては
足になれて来ます。
(切に生きる、瀬戸内寂聴)

自分らしい人生って


過去記事をコメント欄にコピーしたいのは、
本文の長さを3分までと決めているからです。
本でも厚いと忙しい人は敬遠します。
お忙しいみなさんにちょっとの時間で読んで、
明日への自信につなげてほしいからです。
もうちょっと読んでみようと思われた方がコメント欄を読んで、
自由に感じていただきたいのです。
小心者なのに、まほの失敗を伝えたいという「欲」でもあります。
この「欲」を自分への楽しみにさせてもらっています。
今日からご一緒してくださいね・・・出会えたみなさんへ。

まほっち



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by mahorou | 2014-09-09 20:03 | まほへの質問 | Trackback | Comments(2)

9月ブログ再開予定ですが、
過去記事(2010)・・・これだけはお伝えしておきたいです。。。

-------

少し長くなるのですが、
これだけはお伝えしておきたいという
大病し、絶望を味わった「まほ」の思いを
書かせていただきます。
お時間があるときにでも、ぜひ読んでください。


わたしは今まで丈夫で、
風邪をひくこともあまりなく、
ただただ忙しい生活をしていました。
からだが弱ければ、自分のからだを労り、
徹夜とかはしないのでしょうが、
わたしの場合、眠らなくても大丈夫のからだでした。

退職したら「書の道」(教わる側)と疑っていなかったので、
展覧会前は、家族が寝た11時過ぎから、
狭い部屋で条幅を書くわけでした。
それも書きあげたものを部屋に貼り、
お手本と見比べ、手直しをする方法で、
あっという間に1・2時間は経ってしまいます。

人間の脳は午前さまを過ぎたら、
眠ることが難しくなるものですね。
アタマが逆にさえます。
当然、がんばっちゃうわけです。
からだが悲鳴を上げないかぎり、
わたしのように頑丈者は
やめることができませんでした。

何にでも取扱説明書があります。
横着に扱えば壊れて当然ですよね。

でも、恥ずかしながら、大病するまで、
自分が病気になるなど、
ましてや、死の危険がある病気になるとは
夢にも思いませんでした。

前兆はあったのです。
すごい痛みと吐き気があったのですが、
単なる疲れによる腹痛と勘違いしていたわたしは
日曜日に正露丸を飲んで寝ていました。
そのおかげで腹痛も治まり
翌日には普段通り、仕事に行けました。

ここが落とし穴でした。
痛みも疲れと思っていたことと、
痛みが連続しなかったこと。
それに加え、胆石という病気を軽くみすぎていました。
胆石は中年女性の3人に1人は持っている病気、
盲腸的意識でいました。
あまりにもあまりにも無知でした。

わたしのお腹は胆石の「石」が胆管に落ち、
そのため、胆管はふさがれ、
膵臓(すいぞう)からの膵液が逆流し、
おなかの中は泥水状態で、
膵臓はほとんど壊死(えし)していたそうです。
胆石から急性膵炎を発症すると
短時間に死亡することもあるようです。

開腹手術の結果、
重症性壊死性急性膵炎(難病指定)と
病名がつきました。

2年半の入院で難病は克服できました。
後遺症として、握力を失い(家事全般ができず)、
また足の筋肉を失ったため、
歩けず車椅子で、リハビリ(11年目)を
続けている現状です。
いのちを助けるためのありとあらゆる薬の
副作用か、聴力を徐々に失いました。
(※2013年現在、14年目)

障害は不自由ではありますが、
今では全く気になりません。
それは多分、私の心の中に
いのちを助けていただいた感謝の思いが、
障害を持ったことよりもつよいこと、
健康だった昔に戻りたいという思いが、
さらさらないからだと思います。
これは、無理しているわけでも
強気な発言でもありません。

確かに、失ったものは多いです。
でも、それ以上に得たものが多いんですね。
・・・体験した者の醍醐味・・・とでも
いいましょうか。そんな感じです。

わたしは過去を引きずっての
嘆きの人生はイヤなんです。
しあわせと思える生き方がしたい。。。
ただただ、それだけを願っているんですね。

そんなことから、
みなさんに伝えたい思いがあります。
痛みを軽く見たらいけません。また、
持続しなかったからといって、
安心するのは危険です。
胆石でも、痛みがあるということは、
内臓が炎症を起こしているということで、
ちゃんと医師に診てもらう必要があります。

わたしは体験上、
家族の体調管理をしっかりするようになりました。
たまたま、いま自分の家族が発症していないだけで、
人さまは病と闘っておられる…
人さまの病気も自分の家族のように受け止めています。

誰でも病気になる可能性はありますし、
突然の不幸に見舞われることもある・・・
そう意識し、元気な時に、
人さまの悲しみを考えています。
もし、自分や自分の家族だったら・・・と、
人ごとで片づけなくなりました。
自分に限っては・・・と思っていたら、
突然の不幸にパニックになります。
そんなときに、前向きに考えられるはずがありません。
でも、普段から心の準備がしてあったら・・・
ずいぶんと違うのでは・・・と思うのです。

まほの体験から、何かを感じていただけたら、
まほの病気は生きてきます。
重い記事になったかも・・・しれません。
でも、元気なうちに、元気なみなさんに
知っておいてほしかったのです。
長い文章を読んでくださって、ありがとうございました。
感謝いたします。

おまけのような命です。
だからこそ、誰かのため、
何かのために生きたい。
(がまんしなくていい、鎌田實)



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by mahorou | 2013-08-25 20:02 | まほへの質問 | Trackback

追記:まるごとの自分を生きる かめおかゆみこさんの記事


まほはどう生きたいのか?
これは入院中から変わらない答え。
今はこれしかない。

「しあわせに生きたい」

じゃあ、どうすれば、しあわせになれるのか?

しあわせと思える道を行くこと。
つまり、自分を大事にすること。
自分の心を傷つけたら、
しあわせに生きるのは難しい。
自分を大事に愛したら、
まほの周囲の人を
しあわせにする可能性は大。

己を愛せなくては、
他人を愛することはできないと、
「もうどうでもいい」と思った
入院時代から学んだ。

わたしは、ブログ記事を書いていて、
まほをほめていいと
思えることがひとつだけあります。

文章はまとまっていないけれど、
人を不快にしたり、
傷つける記事を書いていないこと。

傷つけられ、人さまを傷つけまいと
誓いました。
自分が病気になり、苦しいことも
体験しました。
だから、そのおかげで、
苦しい人の気持ちを、
考えられます。

傷つくことも、
苦しむこともない人生だったら、
こんなにも感謝・感動できる
人生が送れるでしょうか。

わたしは、こうやって、
ブログ記事を書きながら、
「まほ」という自分の味方を
育ててきたんだなあと思います。

将来、家族と別れる時が
来るかもしれません。
励まし、助けてくれる人が
いなくなった時、
泣いてばかりの人生に
したくありません。

「まほ」なら、
わたしが生きてさえいれば、
いつも一緒で、励まし、
応援してくれます。
わたしを置き去りにすることは
絶対ありません。
だから、「まほ」を大事にします。
わたしが「まほ」を大事にすれば、
周囲の人をみんなしあわせに
できるんです。

車いすでも、
お金持ちでなくっても、
周囲のみなさんの心を
満たすことができるんです。

そんな風に思える「まほ」、
かっこいいと思います。(わらい)

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by mahorou | 2010-07-16 00:00 | まほへの質問

①したくても、出来ない者
②出来るけれど、したくない者
③誠実だけど、能力がない者
④能力はあるけれど、不誠実な者

上記はできない理由を書き出してみました。
まほは①と③であると思いました。

③の誠実であるかどうかは、
みなさんが思う「まほ」像になると思います。
自分自身に対しては誠実でいます。

わたしは、できないことを嘆き悲しむ人生は嫌です。
それ以上に自分に対して、不誠実であるならば、
人さまに対して誠実になれるわけがありません。

だから、まほは自分にできることを、
自他ともに誠実である人生にしたいと思います。
それを貫き通せたら、まほは人生に「はなまる」をあげられます。。。


まほの想い 枯れない花


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by mahorou | 2010-06-19 13:22 | まほへの質問

どう生きたいのか?

まほはどう生きたいのか?
これは入院中から変わらない答え。
今はこれしかない。

「しあわせに生きたい」

じゃあ、どうすれば、しあわせになれるのか?

しあわせと思える道を行くこと。
つまり、自分を大事にすること。
自分の心を傷つけたら、
しあわせに生きるのは難しい。
自分を大事に愛したら、
まほの周囲の人を
しあわせにする可能性は大。

己を愛せなくては、
他人を愛することはできないと、
「もうどうでもいい」と思った
入院時代から学んだ。

わたしは、ブログ記事を書いていて、
まほをほめていいと
思えることがひとつだけあります。

文章はまとまっていないけれど、
人を不快にしたり、
傷つける記事を書いていないこと。

傷つけられ、人さまを傷つけまいと
誓いました。
自分が病気になり、苦しいことも
体験しました。
だから、そのおかげで、
苦しい人の気持ちを、
考えられます。

傷つくことも、
苦しむこともない人生だったら、
こんなにも感謝・感動できる
人生が送れるでしょうか。

わたしは、こうやって、
ブログ記事を書きながら、
「まほ」という自分の味方を
育ててきたんだなあと思います。

将来、家族と別れる時が
来るかもしれません。
励まし、助けてくれる人が
いなくなった時、
泣いてばかりの人生に
したくありません。

「まほ」なら、
わたしが生きてさえいれば、
いつも一緒で、励まし、
応援してくれます。
わたしを置き去りにすることは
絶対ありません。
だから、「まほ」を大事にします。
わたしが「まほ」を大事にすれば、
周囲の人をみんなしあわせに
できるんです。

車いすでも、
お金持ちでなくっても、
周囲のみなさんの心を
満たすことができるんです。

そんな風に思える「まほ」、
かっこいいと思います。(わらい)





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by mahorou | 2010-05-24 00:00 | まほへの質問


今日は5月22日、土曜日です。
お天気は晴れ、今日も暑くなりそうです。

今日がお誕生日の方、
おめでとうございます。
素敵な日をお過ごしくださいね。

今日は読者さんのお言葉に
ご返事させていただきますね。

>まほさんのまめさには驚きます

とんでもないです。
だれもがイヤなことはしませんよね。
まほは、みなさんのように
家事や仕事がありませんから、
自分の好きなことをしているわけです。
みなさんがお料理やお洗濯を
楽しんでご家族のためにされるように、
ほんの一部分を、
まほはやっているにすぎませんからね。

仮に、みなさんが10個の仕事を
されるのに対し、
まほはブログ1個を
大事に使える時間を
与えられたんです。

神さまは、まほをこの世に
とどめておいてくれただけではなく、
まほの楽しみをちゃんと
作ってくれたわけですよ。
人をうらやまずに済むように、
泣いてばかりいなくてもいいように、
まほの居場所(適材適所)を残しておいて
くださったんですよ。

忙しくてお料理する時間がない人のために、
お惣菜やお弁当が売っていますね。
そんな風に、世の中うまく回っていると
思うんですよ。
助けてくれるものがあるんですよ。

「あなたが生きている・存在している」だけで、
周囲の人をしあわせにしているんです。

「わたしなんて」という
若い人もみえますね。
でもね、わたしはあなたが
この世にいることで、
周囲の人を悲しませていないと
思うんですよ。
迷惑掛けてばっかりだから、
そんなきれいごと言わないで・・・
とおっしゃるかもしれません。

でもね、あなたがいなくなって、
涙を流さない人などいないんですよぅ。
泣いていても、怒っていても、
あなたがこの世にいてくれる・・・
そのこと自体が尊くて、
同じ時間を生きられるって
素敵じゃないですかぁ。

わたしはね。
自分(50代のまほ)が
感じていることしか
書けないんですが、それでも、
自信を持って言えることは、
つらいことが永遠に続くものではない
ということなんです。

もし、まほが43歳で旅立っていたら、
みなさんに、こんなお話は
できませんでした。
病気をするまでは超健康体で、
したいと思うこと、
ほとんど努力もせずに
できましたからね。

10年たって思うのは、
車いすの、耳もほとんど聴こえない
障害者になったけれど、
昔より、ずっと「しあわせ」
ということなんです。

これは負け惜しみでも
なんでもありません。
しあわせのものさしが、
変わったんです。

人に褒めてもらおうとか、
認めてほしいとか、
さらさらないんです。
たっぷり、いつも自分を
ほめていますからね。(自己愛)
わたしが出会えた人に、
どれだけ「ありがとう」が言える
人生を贈れるか…
それが楽しみなんです。

「ありがとう」を言える人・言えることの
多い人生を願っているんですよ。

あなたには「ありがとう」を
伝えたい人がいますか?
そんな人がいらっしゃるなら、
その人を悲しませないでくださいね。
まほからのたったひとつのお願いです。

お休みの方は、ごゆっくり。
お仕事の方は、お気をつけて。
ありがとうございます。

最後まで読んでくださって、
ありがとうございました。



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姉さんブログ
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by mahorou | 2010-05-22 08:21 | まほへの質問


>本当は自然に
>助け合っていければ
>一番いいのかもしれないけど、
>自然にってむずかしいものね。
>(お引越し、ひこ・田中)


これを見て、まほはつぶやいてみたくなりました。
口を大きくあけて、のどちんこ(※)をあなたに見せるように、
まほの「こころ」を見せたくなりました。

わたしは人にやさしくしなきゃあとか、
親切にしなきゃあとか・・・
強く意識して生きているんじゃないんですね。

そりゃ、人にやさしくできたら素晴らしいですが、
素晴らしい人と思われようとしているんじゃないんですね。

極論すると、人さまがどう思おうが、
わたしはわたしと言うのがあるのです。
なぜなら、人さまの批判を苦にしていたら、
生きていくことが苦痛になるからです。

そうすると、わたしは自信がなくなり、
泣いてばかりの暗い自分になると知っているからです。
それは入院時代の過去の自分と重なるんです。

わたしはね。わたしはね。
自分にやさしく、親切にしようと思ったんです。
人にやさしくしなくても、
自分に対して、やさしくしていたら、
人さまにもやさしくなれるんです。絶対に。

人を愛する…難しく考えなくていいんです。
自分を好きでなくてもいいんです。
こんなにもつらくても、生きている自分を
嫌いにはなれない・・・
この思いがあれば充分なんです。

まほは自分を嫌いになれません。
だって、まほが自分を見捨てたら、
かわいそうじゃないですかぁ?
だれが味方になってくれるんですか?
まほが自分を愛せないなら、
人さまに愛されるわけがないでしょう?

みんながご自分にやさしくできたら、
きっと素晴らしい世の中になります。
人にやさしくするなら、
ご自分にもっとやさしくしてくださいませんか?



※下品ですが、表現が見当たらず…。
子ども向けの説明には「口蓋垂」とありました
転載元 こちらをクリック


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by mahorou | 2010-04-13 00:00 | まほへの質問