さみしさって・・・
何のために捨てるのか?
本当に大事なものを
決めるため。
そして大事なものを、
より大切に扱うため。
(佐藤可士和の超整理術)
「寂しいのね。きっと
何か起こってないと、
寂しくてつまらないのよ。」
「それならみんなそうですよ。
毎日の生活はそういうものでしょう。」
(名もなき毒、宮部みゆき)
誰かの名前を呼んだり書いたりするのって、
やっぱりつながっていたいからなじゃないのかなあ。
最後の最後に、ひとりぼっちで
いたくなかったのかもしれないし。
(十字架、重松清)
寂しさってのは、
両方で分かち合うものじゃないんだ。
自分は寂しがってても
向こうはそうでもなかったり、
その逆のパターンだったり...。
片思いみたいなものだよ。
だから、寂しいっていうのは、
相手がそばにいないのが寂しいんじゃなくて、
なんていうか、そばにいない相手が、
自分が思うほどには
自分のことを思ってくれてないんじゃないか、
っていうのが寂しいっていうか
...その寂しさが寂しいっていうか...
(十字架、重松清)
さみしさって・・・
わたしはこんな風に感じています。
ひとり暮らしを始められる学生さん、
単身赴任のお父さん、
ひとりだからさみしいのではなく、
ひとりでも、こころの中に
家族や友達の顔が
思い浮かぶことがあったなら、
さみしくはないんじゃありませんか?
ひとりであっても、
家族の写真や、
友達からの便りや、
自分を元気づけてくれる懐かしい思い出・・・
そういったものから、
ひとの『気配』を感じられるから、
さみしくはないんじゃないですか?