再開は9月1日を予定しています

大切なのは
何を重視するか、なのさ。
裏返せば、
何を切り捨てるかということだ。
(マドンナ・ヴェルデ、海堂尊)



まほっちは、どんな環境に置かれても、
しあわせに生きていきたいと思ってる。
今の状態は極限じゃないから言えることかもしれない。
食べていくだけのおカネがあるだろう?
自分じゃ家事ができないと言ったって、家族がいるだろう?
そういう恵まれた条件だから、思えることよ・・・。



そんな声も聞こえる。
わかっているよ、充分に。
自分がどれだけ恵まれているか。
だから、まだまだがんばれるし、がんばりたいんだ。
生きているうちに伝えたいこと、
学びたいこと、感動したいこといっぱいある。



この歳になると、生きていくうえで、
自分の感情を理解し受け入れることが、どれほど大事かわかった。
そうして初めて他者の感情を理解できると知りました。



この感情が、しあわせに大きく関係する。
そうして、どう望もうと、努力しても変えられない環境があるのなら、
事実に対する自分の思い方を変えるだけで、
しあわせは膨らむとも知った。



それは、自分の立ち位置を決めることでした。
まほっちの場合で言うなら、歩けない、聴こえないことをダメと決めつけると、
嘆きの人生になるけれど、
残された目や指や頭や助けてくれる人に感謝できれば、
しあわせだと思える。
捨て去るのは「もうダメ」という気持ちかもしれません。



ひょっとして、
動けなくて、しゃべれなくても、生きていると言うことだけで、
周囲をしあわせにしているのでは・・・と思う。



家族だって、まほっちが暗いと、おもしろくない。
でも、まほっちが明るいと、「もうわがままな奴」と口にはするけれど、
顔は笑っているもん。



そうだ、そうだ。
あなたが生きていてくれるだけで、
それは尊くて美しいとまほっちは思う。
苦しくとも、一日一日を大事に生きていてくれて、ありがとう。。。



これは、まほっち側からみた自分のしあわせ感。
だったら、旅立たれた人のしあわせ感ってどんなんだろう。



まほっちは、悲しむだけ悲しんだら、
故人が安心し喜ぶ自分になりたいと誓った。
実父にも、お世話になった方々にも。
それが一番の供養かなあって。



まほっちがいつか旅立った時、
まほっちが愛した人が
ずうっとふしあわせでいたら、心配でたまらない。
無理して早く元気にならなくていいから、
思いっきり涙を流したら、
まほに笑顔を見せてほしい。
春には桜の花びらになって、あなたを見ていたいから。。。



人は、自分の人生の上で
大切な人と出会っても、
残念ながら出会った瞬間に
それに気づくことはまれである。
その人の重さに気づくのは、
多くはその人を失った時なのである。
もしも今自分は大切な人と出会っている、
と気づくことができたら、
僕らの人生はもっと楽しいものになるのだろうか、
もっとつまらないものになるのだろうか。
あるいはまたこの妙こそが、
人生そのものなのだろうか。
(いつも君の味方、さだまさし)



2011.08.29 福の日に寄せて まほ


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by mahorou | 2011-08-29 15:26 | おしらせ記事 | Trackback