自分の心がつらくなるのは・・・
人生で一番頑張れた時期だと思います。
いえ、そのとき以外にも、
本当はもっとがんばっていたはずですが、
がんばっているのに、つらい・・・
そんなときがありました。
がんばって、がんばっているのに、
結果は出ず「つらい」というのは、
なぜなんだろうと、自分の体験を振り返り、
こういうことかなと思ったことを書いてみますね。
それは、たぶん、「がんばる方向」が
違っていたんじゃないかと、
50代のまほには思えるのです。
「がんばる方向」ってなんやと
いう声が聞こえます。
説明してみますね。
たとえば、風邪(腹痛もある)なのに、
胃腸薬を飲んでいては、
咳やのどの痛みは消えず、
風邪が完治しないようなものです。
つまり、風邪にあたるものが、
じぶんの心なんです。
心にぴったり効くお薬じゃないと、
こころの痛みは消えないのです。
そう考えますと、
がんばって、がんばっているのに、
つらかったことが、証明できます。
まほはこころの要求と違うことを、
がんばっていたんです。
歩けるように、元気を出して、
がんばらなければならない。
この、○○しなければならない、
mustという感情が、
まほのこころを苦しめていました。
ですから、リハビリをがんばっても、
腰すら上がらない、
車いすに数分しか座っておられないと
いう事実は、まほのこころに
「駄目な奴」「辛抱が足らない奴」という
レッテルを貼り、リハビリ自体を
苦痛なものにしました。
当然、リハビリも楽しくありません。
ただのノルマですからね。
そこで、こんなことでは、
退院の望みの綱であるリハビリ自体が
嫌いになってしまう・・・
そう思ったんです。
結果なんて、いいじゃないか。
自分がリハビリを楽しむことが先決。
リハビリを嫌いになったらだめだと思いました。
わたしは言われたことができないと、
先生に詰め寄って、出来ない理由を探していました。
いまなら、こんなことをすればするほど、
自分を落ち込ませるって、わかります。
自分が掘った落とし穴に、
まんまと落ちる方向でした。
いくら、原因を探っても、
できないことはできないんだ・・・
そういう風に「がんばる方向」をかえたんです。
そうしたら、自分のこころのつらさ・痛みが
消えていったんです。
結果を気にせず、リハビリが楽しめたんです。
調子よくできたときは大いに喜び、
調子が悪い日でも、明日またがんばろうと
思えたんです。
たぶん、自分のきもちに逆らって、
○○しなければという気持ちを持たず、
結果より、過程を重んじたことが
よかったと思うんですね。
○○しなければを○○したいに
かえた事が大きいと思います。
つまり、mustからwantにしたんです。
川の流れに逆らわず、
志(しあわせに生きる)だけは持って、
流されてみたんです。
そうして、気づけたんです。
人間のこころが苦しいのは、
こころに思っている自分の気持ちを
否定していたときだと。
自分のこころを肯定すれば、
心が喜ぶのだということを。
ありのままを認められない、
受け入れない心が、
自分をつらく、
しあわせから遠ざけていたということを。
しあわせになる「つぼ」は
自分の感じている気持ちに逆らわないことだと、
まほは思いましたよ。