haruさんに朗読いただきました・「一枚のはがき」
まほの「一枚のはがき」の詩を朗読いただけました。
いつもありがとうございます。
ご訪問は こちら
ほんとうにいつもありがとうございます。
白菊にまほを思ってくださってありがとうございます。
そういう花が似合う人間になれるよう、踏ん張ります。
耳が悪いまほの代わりに多くの方が聞いてくださいますように。。。
うまくいかない時は「別の道を行く運命だ」と考える。
(人間の分際、曽野綾子)
理解してもらいたいとき
理解してあげる相手に出会えますように。
かまってもらいたいとき
かまってあげる相手に出会わせてください。
私が自分のことしか頭にないとき
私の関心が他人にも向きますように。
(謝罪の時代、曽野綾子)
2005年から始まったこの募金、11月末で終了です。
最後までよろしくお願いします。
自分に「無理なく」できることをさせていただきます。
クリック募金・栄養食
最後まで読んでくださってありがとうございました
難しいものですね。
同じ言葉でも、誰が、
どういう流れの中で口にするかで、
全く値打ちが違って来る。
(太宰治の辞書、北村薫)
自虐的で冷笑的な言葉に酔う前に、
その足で立ち上がってほしい。
虚無主義を気取る余裕があるなら、
一歩でも前に踏み出してほしい。
その頭脳を駆使して、
新たな地平を切り拓いてほしい。
我々の眼前には、果てしない
空白のフロンティアが広がっている。
あなたにも
できることは見つけられるはずだ。
(百年法 下、山田宗樹)
たとえ状況は何一つ変わらなくても、
考え方を少しチェンジするだけで
生きる力がわいてくるんだ。
やがて、その生きる力によって、
閉ざされていた扉が押し開かれ、
つらかった状況も
ちょっとずつ変わっていく。
(人間らしくヘンテコでいい、鎌田實)
闇がなければ、光がわからない。
人生も、それと同じかもしれません。
幸福というものは、なかなか実態がわからないけれど、
不幸がわかると、幸福がわかるでしょう。
だから不幸というのも、決して悪いものではないんですね。
荒っぽい言い方ですが、幸福を感じる能力は、不幸の中でしか養われない。
運命や絶望をしっかりと見据えないと、
希望というものの本質も輝きもわからないのだろう。
(人間の分際、曽野綾子)
私は奇跡というのはそういうものだと考えている。
(人間の分際、曽野綾子)
魅力の背後には、
必ずその人に与えられた二つとない人生の重みを
しっかりと受け止めている姿勢のよさがある。
彼らは現実から逃げも隠れもしていないのだ。
すべての人は重荷を背負っているが、その重荷の違いが個性として輝くからだ。
(人間の分際、曽野綾子)
知ってます?幸福でない人だけが希望を持ってるの。
幸福になってしまった人は、それをなくすことだけを恐れるようになるの。
苦労は同じよ。
(人間の分際、曽野綾子)
わたしがしあわせと思うためには、
自分の心を受け止め、「うんうん」と
黙って気持ちを聴いてあげることでした。
がんばらなきゃとか、
怒っちゃいけないとか、
泣いちゃいけないとか、
言わず、心の赴くまま自然体でした。
わたしはまほに
やさしく接し続けました。
病気から10年。
そうして気づきました。
自分にやさしくすると、
人さまにも自然とやさしくなっていると。
またそんなまほを、人さまは
「強い人」と言ってくださるようになりました。
わたしは決して強くはありません。
弱くて、できないことだらけです。
だからこそ、自分も人さまも許せるのだと
感じます。
そんな風に見てきますと、
自分にやさしくできたら、
人さまにもやさしくできる。
人さまにやさしくできる人を、
人々は「強い人」と感じるのでは・・・
と、まほは思うんです。
しあわせだから感謝するのではなく、
感謝するからしあわせになれる
という言葉のように、
強くなったらやさしくなれる・・・
のではなく、
やさしい人は強い人と感じてもらえる
・・・そんな気がします。
強さと、やさしさは、
表と裏のようでもあり、
両方を補い合うものかもしれませんね。